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10年以上たった今だからようやく振り返れる流産のはなし

10年以上前の話です。
結婚して5年たった頃に流産を経験しました。初期流産でした。

私たち夫婦は仕事に忙しい毎日を送っていました。

今からは考えられませんが、、当時の私は遅くまで仕事して帰りは終電。
下手したら深夜まで仕事をして朝五時にシャワーを浴びに一度家に帰り、また出社することもしばしばでした。
夫も仕事の帰りは遅い方で、平日夜は小一時間顔をあわせる程度でした。

日々忙しさに追われていた中、ある時生理がきていないことに気づきました。でも生理痛のようなものも感じる。
なんだか自分の体がいつもと違うことに焦り、まさかと思って妊娠検査薬を購入し会社のトイレwで検査。

結果、まさかの陽性!!

その日の夜に夫に報告すると、夫もとても喜んでくれました。
やっとだね。ようやくできたねって。

私たち夫婦は妊娠を望んでから1年間子供を授かることができませんでした。また、傍から見ると結婚して5年間も子供を授かっていなかったため、親族から無言のプレッシャーを感じることもありました。

「あなたたち夫婦は仕事が忙しいからね~(だから子供ができないのよ)」

と心の声が聞こえているような気がして、罪悪感と焦りに襲われていました。なのでようやく!念願の!!妊娠だったのです。

翌日会社を休んで夫と一緒に病院へ行くと妊娠していることを告げられました。そのまま夫とお祝いのお食事へ。
先生から初期流産が多いからまだ周囲へは言わないほうがいいよ、と言われて少しの不安はありましたが、喜びと期待が上回り、とても幸せな時間を過ごしました。

妊娠したことをまだ会社に言わないまま、これまで通りの生活を送るようにしました。そんなある日、仕事をしていると、なんだか足の付け根が痛い・・・

帰りの電車では立っているのがつらいほどに。それでも自転車こいで駅から家まで帰りました。
今思うとなんでそこまで無理していたのかわかりません。

その日の夜、お風呂上りに微量の出血。
泣きながら夫に連絡すると慌てて帰ってきてくれました。
そして翌日朝一で病院へ。

先生からの出血のせいで内膜が薄くなっているといわれました。
「あぶないですね・・・」と言われその場で泣き崩れそうなのをぐっとこらえます。足の付け根の痛みはクラミジアの可能性があるとかで、その後血液検査をしました。

その時は「お願いだから育って!!」と祈るばかり。
もう無理して自転車こいだりしないから。
来週も仕事休んで安静にするから。お願いっ!!

でも翌朝起きると鮮血が・・・
病院でもらった止血の薬を飲んでいたので、鮮血を見た瞬間に「無理だったんだ・・」と覚悟しました。
頭の後ろをハンマーで殴られたようなショックで、トイレの中で声にならないような叫び声で泣いたのを覚えています(実際声が出ていたかどうかは記憶にないですが・・・)
夫がトイレの外でうなだれている様子を感じました。

夫はそっと「何もしてあげられなくてごめん」と言いました。
妻に対してかける言葉がないこと、何もしてあげられないことがもどかしく、悔しかったのではと思います。

その後病院へ行くと、先生からは枯子卵だったのだろうという診断でした。しばらく安静にしているように言われました。

その後しばらくは、生理の出血を見るたびにあのかたまりが出た時を映像として思い出していました。
生理のたびに涙が止まりませんでした。ほんの少しの間だったけど、確実に赤ちゃんは私のおなかにいた。そしてまたきっと来てくれる。

当時はなかなかショックから立ち直れずにいましたが、妊娠できる体とわかったことだけでもよかったと考えるようにしました。

そして先生からその時に「次は大丈夫だろうから、また会えるの楽しみにしてるよ」とのお言葉をいただいたので、次はきっと大丈夫!!と強く思うようにしました。


今こうして当時を振り返っても、出血したあの瞬間、あの情景、絶望感は鮮明に覚えています。
念願かなって子を授かった喜びから、一気に突き落とされたあの感覚も。
喜んでくれた夫の顔も。
うなだれた夫の背中も。

ずっと振り返るのが怖くて避けてきたけれど、10年以上たってようやく向き合えた気がします。
私はこの後、子を授かり、夫を亡くします。
そんな未来をしっている私が当時の私に声をかけてあげられるなら、

たっぷり落ち込んでいいよ。
ゆっくり体を休めなさい。
仕事はほどほどでいい。
あなたの体と心を大事にしてあげて。
また子を授かるよ。
旦那さんに感謝をわすれずに。

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