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【レビュー&感想】「ウンコはどこから来て、どこへ行くのか」湯澤規子著

先日、久しぶりのリアル書店に妻と出向き手にとったのが「うんちの行方」(新潮新書、神舘和典・西川清史 著、2021/1/16発売)だったのだが、妻が「もっと面白そうなのあるよ」と教えてくれたのがこちらの本。

結局こっちを購入し、前者は買わなかったので直接比較はできないが、目次等を見る限り、個人的にはこっちを買って正解だったと思っている。

タイトルからしてゴーギャンを思わせ、しかもサブタイトルは「人糞地理学」(人文地理学にかけているのだろう)と来ている。そのセンスの高さと、パラ見した限り大真面目な内容だったので、迷いはなかった。

単純に作品として面白そうというのもあるが、ウンコの問題は食糧供給における元素循環の問題でもあり、窒素肥料の殆どが天然ガスから作られているという観点ではエネルギー問題でもある。さらに、アンモニア発電(窒素肥料はアンモニアから作られる)が日本にとって重要さを増していることを考えても、まさにエネルギーアナリストとして読まざるを得ないと思った。

冒頭、

「ウンコは汚物に生まれるのではない、汚物になるのだ」(p.11)

と、いきなりシモーヌ・ド・ボーヴォワールばりの名言が飛び出す。な、なるほど、たしかにそうかも知れない。

そして、第1章で、高校生56名に対しておこなわれた「ウンコは汚いですか?」という"緊急"アンケートの結果が紹介される。汚くないと回答した少数意見(6名)の中に、「汚いという概念自体が、人間が生み出した概念に過ぎないから」といういかにも哲学的な回答があり、この本の問題意識と繋がっているという。

洋式トイレの普及により、ウンコと向き合える和式便所がなくなってしまった。「便」とは文字通り「たより」であり、または「くつろぐ」という意味もある(「便衣兵」の便衣とは普段着のことであり、また皇族の休憩所はかつて「便殿」呼ばれた)。つまり、便所とはくつろぎながら自分自身の身体からのメッセージを確認する場所でもあったのだ。しかし、洋式になることで便所はトイレへと変わり、ウンコは自分自身を表すものから、排除すべき他者へと変わっていった。そのことが、ウンコを汚いものとする意識を高める結果になったのだろう。

ちなみに、「便所」よりも「厠(かわや)」の方が古い言葉のようだ。こちらは「川屋」が語源で、つまり川にウンコを流す所。どちらかというとトイレに近い発想。

また、大便を表す言葉として、「糞」と「屎」(し尿の"し")があるが、どちらも「米」が入っているのが興味深い。「糞」は米が異なるものになったという意味にもとれるが、筆者によると「両手で畑にまく」という意味があるとか。こちらの漢字解説によれば、「糞」は元は「棄」と同じ構成の文字であり、そして「棄」は上のなべぶたに「ム」のような部位は「子」の倒立型で、「丗」の部分は塵取りを象り、「木」の部分は元は両手が組み合わさった象形だった(つまり「棄」は子どもを捨てるという意)。従って、「糞」は米を捨てるという意味にも取れるので、あながち間違いでもなさそうだ。

こうして、ウンチは生と食と繋がり一つの環を形成していることが示唆されているが、日本で糞尿が肥料として使われるようになったのは、二毛作が行われるようになった鎌倉以降であるらしい。その後、江戸時代を通じて、ウンチはお金で売買されるようになる。江戸での1年間の流通量は375万荷(約2億7000万リットル、一般的なバキュームカーが2700リットルなので、10万台分)、市場規模は現代の価値で8〜12億円とのこと。

西洋では休耕地で家畜を放牧し、その糞を肥料としていたので、日本のように人糞を肥料にするという文化がなかった。シーボルトなど日本に滞在し、日本の人糞の肥料利用の実態を目の当たりにした西洋人が、その衝撃を書き記している。

近代の大正時代になっても、糞尿の金銭取引は続いていた。愛知県尾西地域にあった毛織物工場では、そこで働く女工らの糞尿を現金や野菜などと取引した記録「肥料渡帳」が残されている。

しかし、都市化に伴う「大量排泄時代」に突入すると様子が変わってくる。糞尿の過剰供給で価格が低下し、くみ取りのボイコットが発生。また、農繁期には汲み取りが滞る他、栄養価の高いお金持ちの糞尿が高値で取引されるなど、偏りが生じはじめると、都市の衛生問題となる。そして、コレラ、ペストの流行を受けて、次第に糞尿は「財」から処理すべき「汚物」へと変わっていく。

それでもしばらくは、汚物処理と下肥利用の共存が続く。1944-1955年までは西武鉄道と東武鉄道が通称「黄金列車」というウンコ列車を運行していた。しかし、次第に農村で処理しきれる量を越えていく。タモリの3rdアルバム「タモリ3」(1981年)に収録されている「たそがれのオワイ航路」とは、処理しきれなくなった糞尿(汚穢(おわい))を船で運び、海に棄てていた頃のことを描いていると思われる。

日本の高度成長において、バキュームカーの存在を忘れることはできない。世界初のバキュームカーは、1950年川崎市の衛生福祉部清掃課に配備され、1950年代中頃には8割がバキュームカーによるくみ取りとなった(それまでは手汲み)。まだマイカーが普及する以前のバキュームカーの運転手や作業員は、"自分たちは選ばれた「パイロット」だというプライドを持って働いていた"(p.157)。そして、私が最初に将来の夢こそが、バキュームカーの作業員だった。

GHQ占領下でアメリカ人はサラダとして生野菜が食べたかったため、野菜の肥料に糞尿が使われることを嫌い、化学肥料のみで育てられた「清浄野菜」と流通を区別した。1953年に日本初の屎尿浄化槽が砂町に誕生し、科学処理時代が幕を開ける。そして、東京オリンピックに向けて、下水道の整備が急ピッチで進んだ。

下水道が整備された後も、処理された汚泥をコンポスト(堆肥)として再利用することも検討されたが、下水道ではあらゆる排水が混ざり合ってしまうため、屎尿以外の化学薬品が入り込み、有害物質がないことを証明することが難しく、現在に至って実用化されていない。結局、真に汚いものはウンコ以外の人間の使う薬品だったということになる。

こうして、都市化に伴う大量排泄を衛生的に処理するため下水道が整備され、大量の輸入食糧と輸入肥料の流入の中で、糞尿の肥料利用は不可能になっていった。現在、3大化学肥料と言われる窒素、リン、カリ(カリウム)は、窒素は天然ガスやナフサ、リン・カリはリン鉱石とカリ鉱石から作られ、当面は枯渇の懸念はないと言われるが、一部の国に供給が偏っているという問題はある。近代化された排泄処理システムは、快適で衛生的な暮らしを提供してくれているが、その裏で失われてしまったものがあるということにもまた目を向けてみたいものだ。それこそが、パリを飛び出し、タヒチへと向かったゴーギャンが、現代を生きる私達に伝えたかったことなのではないだろうか。


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