批判を恐れず、意見を言い切れ

 昨日、11月12日に放送されたネタ番組「ザ・ベストワン」。キングオブコント2021のファイナリストを何組か含む、若手実力派を多く揃えていたものの、率直に言ってあまり面白くなかった。満足度が低かったという言い回しの方がしっくりくるかもしれない。番組がスタートしてからまだ1ヶ月しか経っていないが、早くも暗雲が立ちこめ始めている気がしてならない。

 蛙亭、男性ブランコ、そいつどいつ、ジェラードン。この日出演していたこの4組のうち、ジェラードンの出来はまずまずだったが、他の3組のネタは、正直あまり面白くなかった。だがこの日の放送は、今年のキングオブコントで決勝を戦った彼らの存在が話題の中心となっていた。2時間スペシャルの目玉だったと言ってもいい。そんな彼らが番組の柱に相応しいネタを披露できたかと言えば、答えはノーだ。ファイナリストたちを少し買い被りすぎではないかと思ったのは、僕だけではないはずだ。

 余力を感じなかった。ひと言でいえば、そうなる。もしここでキングオブコントを上回るようなネタを披露できていれば今後への期待は高まるが、その内容がイマイチでは、決勝進出がたまたまの出来事に見えてしまう。「キングオブコント2021ファイナリスト!」と、番組が彼らを煽れば煽るほど、逆にこちらの期待感は下がってしまうのだ。

 ゴールデンタイムに放送されるネタ番組は、芸人たちにとっては晴れの舞台。ブレイク前の芸人にとっては憧れの舞台だ。この日は今が旬の芸人が多かったが、知名度が低いブレイク前の芸人も何組か出演していた。タイタン所属のキュウは、その筆頭になる。

 そんなキュウが登場した際に僕が気になったのが、彼らを紹介するときに、「麒麟・川島 一推し」という文言が使われたところになる。

 なぜ、「番組が一推し」と素直に言わないのか。この番組に彼らを出演させているのは、川島ではない。ネタをチェックし、そのネタにOKを出しているのは他でもない番組だ。川島の名前を出せば、もしキュウのネタが面白くなかった場合、川島にも何らかのリスクが生じる可能性がある。番組がオファーを出しているにもかかわらず、なぜ自分では評価はせず、わざわざ他人の評価を載せるのか。

 評価にはリスクがつきまとう。良い評価、例えば番組オススメの芸人が面白くなければ、番組の信用は下がる。次回もまた見てみようとは思わなくなる。日本の大抵のテレビ番組が自らの意見を述べようとしない理由はそこにある。決して格好のいい話ではないが、その一方で「〇〇が絶賛」とか、「〇〇が太鼓判を押す」とか、他人の意見を、当たり前のように掲載する。狡い。お笑い的ではないと言わざるを得ない。

 お笑いとは、意見を述べあう娯楽だと僕は思っている。意見を裏付けるデータの類が不足しているので、その善し悪しの基準は各自の感覚に思いっきり委ねられる。ありとあらゆる意見で溢れているのがお笑い界だ。

 番組の出演者というのは、番組の意見そのものなのだ。いわば、番組側が面白いと思っている芸人たちになる。ならば、自分で自信を持って紹介しろと言いたい。他人の評価など気にせず、面白いと思うものはキチンと言い切れ。じゃないと、臆病に見える。自信のない番組に見えてしまう。

 中途半端なスタイルを取り続ける限り、番組は活性化しない。面白くならない。そうした弱気が、いまの「ザ・ベストワン」には見え隠れする。いまひとつ弾けることができない理由のひとつだと僕は思う。

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