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体感した「等身大」は“無”

大したことがない自分を自覚したことで
見えてきた次の景色。

「あ・・・これが等身大の自分、ってやつだったのか・・・」

大したことない自分を観たら
カラダの内側からチカラが抜けていっていて
進行形にじわじわとチカラが抜けていっていて

表現するなら、そうね
例えば戦隊物のドラマで普通の人間が悪者のビームを受けてしまって
悪魔化してしまい憎悪でまみれて
散々大暴れして町や人を傷つけていって
ある時正義の味方が現れて
そのヒーローと戦うことになってしまって
結局最後負けた途端
シュルシュルシュル~と元の姿に戻っていって
元の人間の姿で倒れていて・・・
よかったね、ちゃんちゃん

みたいな。
あ~これ言い得たな。
素晴らしい。

しゅるしゅるしゅる~って今チカラが抜けていっている状態。
空気入れるタイプの着ぐるみから
空気抜けてぺちゃんこになるようなやつ。

そうしたら、今まで聴いたことはあって
頭では理解していた「等身大」ってやつの意味を
体感で本質的に理解した感覚。

見えた等身大のジブンは、
とてもちっぽけだった。
やせっぽちで、表情もそんなになく
感情的でもなく、なんつーか“無”

だけどカラダは軽く、ただ存在する感覚が
「これが楽ってやつか~・・・」って思われる。

同時に、どれほどにわたしはカラダを力ませて
がちがちになって生きていたか、がやっと見えた。

人からは、どうしてそんなにずっと全速力なの?
たまにはチカラ抜いてね、と
言われていたけれど、意味が分からなかった。
これが私だし、って信じていた。

本当に、私はずっとずっと、ぎゅーーーーーーっと
チカラを入れていて
もはや「抜き方がわからない」状態になっていたみたいで。

だから、しゅるしゅるしゅる~と空気が抜けていったら
ぽか~んと無になる感覚になれた。

そして今朝。
わたしは、手放す覚悟をした。

今まで「必死にしてきたこと」を。
善と信じて、これをしないとだめだと思って
しがみついて続けてきたことを。
手放すと、静かに決めた。

手放して、等身大のジブンが本当にしたいこと
できることの方を見ていこう、と決めた。

そしたら・・・
朝イチ、創りたいと願ってきた世界への切符となるような
お仕事の話が舞い込んできた。

すごいな。
手放すと決めたら、次が来た。

しかも話を聴いて
すぐにイメージがぶわ~っと浮かんだ。
もう既にその未来は、そこにあるんだとわかった。

人生って
抜いたもの勝ち、放したもの勝ちなのかもしれない。

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