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【体験談】君はなぜ軍資金を持ったまま飛んでしまったのか(前編)

こんにちは。のりです。

打ち子管理で一番頭を悩ませる「お金の持ち逃げ」。

最近、知人の親が打ち子にお金を持ち逃げされまして、本人曰く「怒りよりも信頼していた人に裏切られた悲しみのほうが大きい」と嘆いていました。これには全くの同感で胸が痛くなりました。

前回の記事で触れましたが、私も過去に一度だけお金の持ち逃げをされたことがあり、当時の感情を思い出したので記事にしてみたいと思います。

もう15年以上前になりますが、私は当時学生で大阪に住んでいました。

ひょんなことからパチンコの期待値稼働を覚え、その頃はパチンコが楽しくて楽しくて仕方のない時期でした。講義もそこそこに毎日パチ屋に入り浸り。当時は羽根物アクアパラダイスという台ばかり打ち、月2~30万円程のプラスでした。

この台は技術介入要素があり、2鳴き(羽根が2回開くこと)の際にすかさず右打ちし右の羽根から玉を拾わせると高確率でV当選させることができました。この「自分のテクニックで大当たりをもぎ取れる」介入がとにかく楽しくて、原付をかっ飛ばして近隣店舗に導入されているアクアパラダイスを全台チェックし、クセ良し台を見つけ打ち倒していました。
(当時の記録表を押し入れから引っ張り出してきたら、「どこに売ってたの?」と思うようなちっちゃなノートに、毎日の収支くらいはしっかり記録してました)

そんなある日、地元の旧友から数年ぶりに電話が掛かってきました。おう、どうした?と聞くと、なんでも勤めていた会社をやめ、大阪の知り合いの会社に再就職するから近々引っ越してくるとのこと。後日数年ぶりに彼と再会し、それからよく一緒に遊ぶようになりました。名前は仮名で・・・たけしとします。

たけしは大阪で働き始めましたが、給料は安くお金に困っていたので、当然パチンコの期待値稼働を教えることになります。稼働エリアが35~42玉交換だったこともあり、間もなく二人で出玉共有するノリ打ちを始めました。彼の仕事休みの日はほぼ毎回二人で開店前から並び、アクアパラダイスのクセ良し台を閉店までぶん回していました。

僕はたけしにパチンコを教え、たけしは女遊びが上手だったこともあり、色んな夜遊びをたけしに教わりました。この頃はパチンコと夜遊びばかりの日々でしたが、とても充実して楽しい毎日でした。遊ぶお金には困らないこともあり、閉店まで稼働した後に夜の街に出かけ、翌朝から徹夜で店に並んで稼働したりと、若さに溢れていましたね。

しかし、さすがに半年も同じ台を追っかけていると多少の飽きは出てきます。私は同じ台を淡々とやれる性格なのですが、たけしはやや飽きっぽいところがあり、ちょうどその頃、CRぱちんこウルトラセブンという台が世に放たれます。

今は後続機の超乱舞を追いかけている遊タイマーも多いですね。

初代セブンは大当たり確率が479分の1(!?)と今では考えられない低確率なことに加え、突然時短という「出玉無し当たり」を搭載しており、出玉のある実質初当たり確率は約600分の1という荒波スペックでした。その代わり一度確変に入った時の爆発力は凄まじく、10万発越えの台も度々見かけました。
アクアパラダイスに飽きていたたけしは、ある日新台入替で導入されたウルトラセブンを「少し遊びで打ってもいいか?」と言い出したのです。

当時私はボーダーの概念は既にありましたが釘読みはできず、その台が打てるのかどうか判断できない状況でしたし、ノリ打ち中に遊び打ちをするなどもってのほかなのですが、その日はなんとなく「いいよ」と承諾してしまいました。これが後々の失敗を生む元凶となります。

ウルトラセブンを打ち始めたたけしはあっさりと確変を引き当て、怒涛の連チャンにより6万発、約15万円の快勝となりました。普段は羽根物で日当2~3万円がせいぜいでしたので、この成功体験はたけしの脳裏に強く焼き付いてしまったのです。

この日からたけしからはややオカルトめいた発言がでるようになります。

「この台はもうこれ以上出ないからやめたほうがよか」
「俺は勝てる台がなんとなく分かるとよ」

谷〇先生の弟子か?と思わせるような模範解答です。

曲がりなりにも期待値稼働の知識をつけていた私は、たけしに理屈を説明するものの本人はどこか納得いかない風。ただ稼働の主導権は私にありましたので、文句を言いながらもアクアパラダイスを淡々と打つ日々は続いていきます。しかしこの頃からたけしは、自分の軍資金でCR機に手を出すようになっていきました。

(以下の後編に続く)



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