真っすぐに受け止めて|2021年有馬記念回顧

日本列島が記録的寒波に見舞われる中でも、天候に祟られることなく無事に挙行された第66回有馬記念。
23歳の若武者・横山武史騎手が駆るエフフォーリアが力強く抜け出し、現役最強を証明した。

その勝利騎手インタビューの場で、横山武史騎手は喜びを爆発させるでもなく、開口一番、前日の大きなミス、すなわちヴァンガーズハートでの御法について謝罪の言を述べた。
神妙な面持ちで自らを未熟と猛省するその姿に、私は彼の矜持と精神性の高さを感じ、競馬界を背負うジョッキーとして更なる活躍を果たしていくであろうことを確信した。

エフフォーリアの勝利は、紛れもなく横山武史騎手の手綱さばきがもたらしたものである。
何より勝負処の三角で最大のライバルであるクロノジェネシスの機先を制して出し抜いたシーンは、今年の有馬記念のハイライトである。パンサラッサが淡々とペースを刻み、自らの手綱で菊花賞馬に導いたタイトルホルダーが余力十分に先頭を射程圏に入れ、最大のライバルが仕掛け時を伺う中で、進出のタイミングは非常に難しかったはず。一瞬の躊躇も許されないシビアな展開を勝ち切れたのは、エフフォーリアの力量を信じ、レース展開を冷静に見極めた横山武史騎手のファインプレーだった。

ヴァンガーズハートの事象についてJRAは「明確に着順に影響があったとは認められない」との結論を下しており、既に騎乗停止のペナルティも受けている。パトロールフィルムからは余力十分に抜け出した後、再三にわたって外の馬の脚色を確認する姿も残っている。そこには馬に辛い記憶を残さぬよう余力を残してゴールに導こうとする、馬優先の所作が垣間見える。
判断は結果として誤りであったが、その意図や思いは競馬を長く見てきたものであれば痛いほどよくわかるであろう。あれだけの手応えで突き抜ければ、多少、手綱を緩めることも自然な成り行きである。
新馬で走りすぎることは、馬の可能性を潰えさせかねない行為である。私たちはこれまで、鮮やかな新馬勝ちを最後に勝てなくなった馬を何頭も見てきたはずだ。

有馬記念を見るファンが全員、前日午前中の新馬戦の映像を見ているわけではない。昨日の一件には蓋をして、何度も味わえるわけではないグランプリ勝利の余韻を味わい、誇らしげに胸を張って満面の笑みで応えることもできたはずだ。
だからこそ、馬上で深々と一礼し、衆目の前で反省の弁を述べる姿は際立って印象的なものだった。

競馬はどこまでいってもギャンブルであり、多くの金銭がその手綱に掛かっている。それ故に透明性は問われるし、どんな理由があれどもレースが始まれば全力を尽くす義務がある。あるいは、競馬は馬の生死を賭けた戦いの場であり、それ故に一つの取りこぼしが馬の生涯を大きく左右する。
エフフォーリアが勝利したからといって、ヴァンガーズハートの手元から零れ落ちた勝利は取り返しがつかず、はずれ馬券が当たり馬券になることもない。
ヴァンガーズハートがこの先、順調に勝利を重ねてクラシック戦線に間に合ったとしても、大きな回り道には変わりないし、ヴァンガーズハートの単勝を握り締めていたファンは、例えエフフォーリアで収支を戻したとしても、ヴァンガーズハートが勝ち続けたとしても、帳消しになるわけではない。

競馬は1レース1レースが全く別の勝負、与えられたその場所で、馬と人が懸命に戦い続ける種目である。横山武史騎手のインタビューは全てを愚直なまでに真正面から受け止めたものであり、それ故に、彼の真摯な競馬への姿勢が垣間見えた素晴らしいメッセージだったように思う。

非を認めることには、大変な勇気が要る。今日、有馬記念を見守った競馬ファンの中で、横山武史騎手と同じ状況になったときに(あるいは例えば仕事で致命的なミスを仕事でしてしまったときに)、言い訳ひとつせずに心から受け止められる人がどれだけいるだろう。
少なくとも、私にはその自信はない。言い訳を探して、心が傷つかない方法を探してしまうだろう。
この大舞台での勝利にも舞い上がることなく、真っすぐに受け止めて言葉を発する横山武史騎手の器の大きさを感じずにはいられない。

メジロマックイーンでの降着を越えて武豊騎手が輝かしいキャリアを築き上げたように、キングヘイローでの苦い思いと批判を超えて福永騎手が一流の仲間入りをしたように、この二日間の出来事は横山武史騎手を一流へ押し上げるキッカケになるのだろう。

新時代の到来を告げる有馬記念の勝利とその裏で起こった一連の事象も、数年後には彼の活躍をほろ苦く彩るエピソードになるのだろう。
2022年、彼の更なる躍進をリアルタイムで見守っていきたい。


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