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いてるばるは、永遠に

悲しい。どうしたってお世話になった人との突然の別れは悲しい。だけどいつまでも此岸にいる私が悲しんでばかりじゃ亡くなった人がちゃんと彼岸にいけないかもしれない。だから今日はたくさん思い出して、静かに送ろう。きっとあのひとなら好きかなと思うようなレコードを聴いて、静かにその人との時間を反芻する夜。

その人との出会いは東京の世田谷の経堂だった。ある日突然、「はるばるてい」と書かれた看板を掲げ、のれんをだし、でっかい提灯をさげ、小さな店を開いた。その「はるばるてい」と書かれた文字が、その人、つまり店主によるものだとなんとなくわかったし、その人懐こい文字が実にチャーミングで、私はよく「いてるばるは」と呼んでいた。店内にはジャズが流れ、カウンター数席。あんたの好きな美味しい支那そばが食べられるラーメン屋だよと、当時のマネージャーに連れられていった。マネージャーは支那そばを頼むと漫画を読み始め、私たちはティオペぺを頼んだ記憶がある。ラーメン屋でティオペぺが飲めるなんて嬉しくなって昼間からよく飲んだ。それにしてもここのラーメンが好きだった。当時、私は六本木の大八が好きだったから、世田谷の経堂で支那そばが食べられるときいて嬉々とし駆けつけた店だったのだ。「はるばるてい」の店主はタイダイ染めのTシャツをサラリと着こなし、実に物腰優雅にラーメンをこさえる人だった。そう、まさに腰の動きがしなやかで、キッチンの台と腰との関係性にあるグルーヴがあるというか、なんだか不思議な料理人だなあという印象だった。「僕ねゴルフのインストラクターやってたことあるんだよね」って後から聞かされた時は、ああなるほど、あの腰の動きバランスの良さは体幹が良いんだなと腑に落ちた。壁には店主が描いた小粋な絵画が飾られ、窓辺にはグレートフルデッドのくまちゃんステッカーが貼られていて、なるほどその腰つきのグルーヴはどこか旅を感じさせる、ヒッピーライクなものだなとなんだか私は気に入った。支那そばのスープも私の好みで、それになんたってずっと食べられないでいたあの「割り箸」と呼んでいたシナチクがそこの店主の手によると、何この食感?!割り箸みたいじゃないシナチクだ!とシナチク大好きになったほど、この店主のこさえる味が私の好みだった。私はまだ20代で、あちこち飲み歩き、大胆不敵なイカれた独身生活を謳歌した経堂時代と呼ばれた頃だった。

店主は夏になると秋が来るまで店をしめ、オーストリア人の気の優しそうな彼女とあちこち旅を楽しんでは、秋頃にまた店ののれんを出した。のこのことラーメンを啜りにゆくと少し旅の話なんか聞けて、それがとっても私は楽しかった。春には花を楽しみ、梅雨には体をやすめ、紅葉狩り、冬は休むと。とにかく四季折々を感じること、生活の中にそれが当たり前のリズムとしてあった人だった。季節の花があったり、食があった。ジャズの流れる店内で、絵画好き店主オリジナルの不思議なカクテルもたくさん飲んで酔いしれた。名前も店主ならではで、ミロ、ダリ、ピカソ、のちにはフリーダカーロ、ドヌーヴ、マルチェロ、中也などなど味わい見た目共々実になるほど納得でユニークだった。旅先で出会った味を楽しませてくれたり、油麺なんかが世に出回る以前に、香麺と称して、油と麺を乳化させて食す麺が人気で、ある時、そこについてくるスープにシナモンの粉が振られて出てきた時は、旅と文化と食を楽しむ店主のその独特のセンスに脱帽した。

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ある時、店主が沖縄を旅してハマった三線を夕暮れ時に、自らつまびいてくれたり、のれんを揺らそよぐ風にレイドバックしながら、心地よく過ごした時間。「はるばるてい」には、いろんな時間があった。そう。経堂にはある種の文化が根付いていたというのも背景にはあった。その昔、植草甚一が歩いていた街。遠藤書店をはじめとする古書や中古レコード店。ニザンというジャズバーもあった。四つ玉の玉突き場。学生が集う雀荘。のちにはハスキー中川さんもレコード店を開く街だった。90年代、2000年代以降、それらは少しずつ消えていったけれど、「はるばるてい」は店主持ち前のマイペースで時代と共存しながらもゆっくり時間が流れる不思議な場所だった。味噌樽を裏返してベーゴマであそぶ親子や、夜などは、酔っ払い客が有象無象に陣取り、ラーメンを我慢した時もあったけれど、それにしても、よい時間を過ごした記憶しか今は思い出せない。店主のさまざまな表情、そしてあの腰つき、そして中華包丁や鍋や菜箸を器用に捌くあの腕、そんなこんなを丁寧に思い出して、遠きこのブリティッシュコロンビアでお別れする私を、彼岸に向かうどこかで「はあい、どうも〜」とか店主の声が聞こえてきそうな静かな夜。雨は小降りになり。涙も小降りになってきた。ちょうど、波のように、さよならがきました。

本当にいい時間をありがとう。どうか安らかに。

店主が好きだった沖縄の海のアフを一枚を捧げて、悲しいけどお別れします。

それにしてもこの手紙は誰にあてたつもりなんだ私は。返事はいらないけど。

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