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ニャーリーへ 3月28日 

3月10日にニャーリーが死んだ。
そこから18日経った。今でも残像が見える。部屋のあちこちに。
くるりん尻尾やひよこを乗せた後ろ姿、後ろ足のてけてん、前足のギュッとしたのとか。

ペットロスに気をつけてね
そんなこと言われた。ロスって何?なんか物を失くしたみたいに。ペットだったけどロスじゃない。完璧に自分の中の何かが失われた。
ある日、それが自分の一部だったということがわかった。
愛だった。私の中の、良心。愛だった。

毎日実は眠れていない。
ニャーリーのことを考えてしまう。考えていないときはまだいい。人とのコミニュケーションもまあまあ。元からウマカナイケド。普段乗らない電車に乗って試写室に行く。てくてく歩く。都会に猫はいない。
京橋ののら猫、きょうちゃんももういない。コロナやカナダで不在にしてた間、都会にのら猫が消えていってた気がする。

眠れていないせいか、とても疲れる。
疲れていると、判断が鈍くなって時折、家に帰る気力が失せる。
ぼんやりどこかに座って動けなくなる。こないだは家に帰らないでもうずっとのら猫みたいに誰かにもらわれることを望んだ。でもこんな58歳を誰が貰うだろう。バカらしくなって帰って家中のものをちょっと壊した。自分がこうして壊れてゆくのがだんだんわかってきた。
クロゼットの奥から何かが出てきている。
クロゼットの奥に行かないでと、晩年のニャーリーを叱った。
これは私が怖かったからだ。クロゼットの奥に身を隠し、そのまま死んでしまうんじゃないかと、怖がったからだ。どうして自分の思うがままにしてしまったんだろう。ニャーリーは具合が悪いとよくクロゼットの奥に行きたがった。だから本当は相当悪かったはずなのだ。それを私は「行かないで!」と叱った。クロゼットの奥で、私は小さな死を怖がった。今、ニャーリーがなくなって、小さな死を考える。
クローゼットの中の小さな死。

ふと、自分は発達障害系の何か障害、またはうつ病か何かを抱えているのかもしれないと、最近考える。きっかけは猫の死によってだった。
元々人とうまく交流できないけれど、さらに最近は難しい。
塞ぎ込んだり、突然相手を前にどうすればいいかわからなくなる。そしてどんなに私が頑張って気遣いしたところで完璧に滑っている。全て裏目に出ている。おそらく、気遣いの矛先が照準があってないんだろう。
でも、じゃあどこに合わせればいいというのだろうか。わからない。
こういう話をずっとニャーリーにしてきた。
眠れない夜、朝、昼、私は彼女に語りかけた。
すると、あくびをしたり、尻尾を振ったり、あるいはお腹を出してゴロンゴロンしたり、時折私の体を舐めてくれたりして、返してくれた。
それだけで救われた。奇跡だった。

ニャーリー。
会いたい。そうだ、私も骨になって骨同士になろう。骨骨ロックだ。
現世はこんなにも辛い。加えて役立たずな私に実のところ居場所はない。
クローゼットに逃げ込みたくなる朝。
夕暮れと朝が一番辛い。夜はまだいい。
くたびれすぎているのに眠れぬ夜は最近、CBDを塗ってもらって寝ている。効果はあるようだが、結局さっきも塗ってもらったのだが、こうして書いている。ニャーリーにもマッサージしてあげた。猫にも効果はあったようだ。くぅうと眠っていた。

『人新世の風土学』寺田匡宏著を斜め読みしていたら、あとがきに外間守善さんが出てきた。
なんという幸運。そして、御子息であられる外間さん装丁による冊子もいただいた。ウララ古書店の宇田智子さんによる公設市場の話だった。
それを片手に京橋から木挽町、日比谷まで歩いた。まちは移り変わる。江戸時代から東京も変わったように。那覇も変わっているのだ。だけどその小さな変幻を綴った宇田さんの冊子を持って歩いていると、なんだか穏やかで無敵な気分だった。手のひらの中にある記録。猫を抱いているような不思議な安堵感というか、平和というか、未来があるというか、不思議な高揚感だった。でもそれがなんでかわからない。交互に読むと不思議な味わいだ。

桜が咲いた。
ニャーリーを抱えて動物病院へ通院した途中の道のガチョウたちのいるあの木は見事なソメイヨシノだった。
見事な桜ほど、下に死体が埋まっているんだと昔の恋人が言った。
だからか、恋人は春に死にたいと言った。
私は以来ソメイヨシノには死のイメージしかない。

ほら、咲いたよ。
ニャーリーに話しかけてばかりいる、毎日。
独り言。彼女が生きている時も、独り言みたいなもんだったから変わらないか。

私はクローゼットを見つめている。
そこへは行かないから。
桜の木の下には行っても、そこには行かないから。





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