斎藤真理子『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』を読んで

K-POPに本格的に夢中になってから、3か月ほど経とうとしてるんですなあ…。感傷タイムの始まり始まり。

以前にもBTSやBLACKPINK、TWICEなど楽曲や表現のクオリティの高さに圧倒されてたりはしたけど、ちゃんとK-POPと向き合う、というか好きになっていったのは、XGにハマってからだったんだよなあ…。

うん、この3か月だけでも色々とあったなあ…。

…XGという途方もない魅力を持ったガールズグループ。
7人のメンバーはほぼ日本人(2人はハーフだが日本育ち)。
なぜ、日本人が他のK-POPグループに遜色ないほどの魅力と才能を兼ね備えているのか?ちなみに、この問いかけ自体、日本のガールズグループに対するある種の偏見があることは、認めざるを得ない。今回はスルー。

とにかく、その疑問が韓国へ本格的に関心が移っていった訳だ。
「なぜ?XGがK-POPへの関心となるの?」と思われる方に簡単に説明を。

プロデュースをしているサイモンが、韓国と日本のハーフであること。育ちはアメリカ。XGの事務所は韓国に拠点を構えて、あくまで活動方針がK-POPの習慣に乗っ取りながら、一方、よりグローバルな活動へと向かっていること。全曲、基本英語で歌っているが、K-POP的活動を主軸にしている側面があること。

何より、XGを支えているクリエイターはK-POPの人たちが中心となっている。

雑に言ってしまえば、素材は日本、クリエイティブ面は韓国、といった非常に面白い構造を持っている。もっと言えば、資本元はavex。でも活動拠点は韓国。

サイモン自体、XGの活動をグローバルへと目標は持ちつつも、自らのルーツも大事にしていて、韓国と日本の架け橋になりたい、という思いも抱いている。

そういったことも含め、私は、ではK-POPとはなんぞや?と本格的に関心が向かい、他のガールズグループ(ここはね、まあ…)を聴きつつも、ネットやYoutubeなど、それから幾つかの本を読んでいった。
その時に読んだ本は以下の通り。

・K-POP現代史 ─韓国大衆音楽の誕生からBTSまで
・K-POP bibimbap 好きな人をもっと深く知るための韓国文化
・K-POPバックステージパス
・K-POPはなぜ世界を熱くするのか
・日本人が韓国に渡ってK-POPアイドルになった話。
・月刊『世界』岩波書店の韓国について書かれた幾つかの記事
・K-POP: 新感覚のメディア

ごく最近は、別の理由で日本の近現代史の本を読んでいることもあって、韓国の歴史をK-POPを通してあらためて知つつも、同時に日本の近現代史を学ぶ上で侵略行為(当然これは以前から知っていた)も政治的側面から学び直した、ということになったんですわ。元々、ある程度の知識はあったにせよ、こういったカルチャー的側面を通して知ることもまた、よりリアリティというか、感じ方の幅と奥行きが生まれて、意味のある事だなあと思った次第。

ちなみに、結構昔から韓国映画は大好きで、「骨太な韓国ドラマ」も以前から観る機会が増え、現代のアジア圏内という意味では観ている本数も日本のものより圧倒的に韓国映画・ドラマの方が多い。特に韓国映画を通して韓国に対する偏見なんて持ちようがなく、寧ろ親近感とある種の憧れ(こういうクオリティが作れる韓国映画事情に対して)持っていたぐらいだ。

それは、韓国人の持つ情熱というか、熱量にという側面もあったと思う。

一方で、K-POPを知れば知るほど、韓国社会の暗部もまた、あらためて知ることにもなる訳で、とりわけ、ネットを通した誹謗中傷は日本の陰湿さに比べるとより強く前面に出る傾向があるのかとも、感じた。或いは日本と比較しても出生率が低いなどの、現代韓国が抱える様々な問題も知ることとなったり。これらは先に挙げた本から、韓国社会の急速な成長に伴うものだとも知ることになった。

それは、韓国が辿ってきた歴史を鑑みても、やむを得ない部分はあるとはいえ、やはり考え込んでしまう。でも、日本の陰湿さ・見えにくさの方がよほど問題があるとは個人的には感じていますけどね。

そんな中、Twitterでたまたま、この本に出会った。

特に「朝鮮半島と日本の人々の「あいだ」を考える1冊」という言葉にひっかかった。

まさに、その時そんな現象の中で私は体感していたのだ。

言っておかなきゃいけないのは、特別好きなグループという訳ではなかった。曲によってはとてもいい!とは思っていたけど、それがどうも炎上しているらしい、と。原因は「独島は我が領土」の歌をYoutubeのバラエティーで歌ったからだ。厳密には替え歌で、色んな曲とミックスしたもの。

このことについては、アサコさんという方の記事がとても素晴らしいので、何があったかを含め、一度目を通して頂きたい。

これが「反日」というレッテルが貼られることになり、一部で大炎上。
私は普段、情報収集として幾つかの日本のK-POP関連Youtuberを楽しんで観ている。その中で上に挙げた韓国ジヌさんは、韓国人ならではの確かな情報源として重宝していたし、単純に面白かった。まあ、もちろん話題によりけりで、全部を観る訳ではないけど。

ただ、あの配信は最後まで我慢して見続けたが、観るに堪えないほど、一部の日本人の暗部を見せつけれらた。チャット欄は荒れに荒れ。色々な人の本音が噴出していた。実際に、音声でジヌさんとやり取りした2人の若者も、仕方がないとは言え、暗澹たる思いにもなってしまう。この配信で初めて知った、「韓国ジヌ」という名前の由来を聞いたのだが、胸が痛んだ。

もうひとつ、メインで観ているYoutuber(日本人だが、ここでは名前は出さない)がいたんだけど、NMIXXの炎上問題に対する反応は韓国ジヌさんとは、明らかに違っていた。動画のひとつで韓国側で反日的発言をしているコメントをピックアップしていたのだ。言葉では冷静なスタンスで言っているように見えて、私には煽っているようにしか感じられなかった。ちょっとこれはいかがなものかと思い、思い切ってコメントをした。観たのはオンタイムではないので、動画にコメントした形だ。

ちょっとこれは煽り過ぎではないでしょうか。あえて動画を分けている意図も理解できますし、政治は他でやってくれ、というスタンスも同意します。ただ相手にすべきじゃない韓国の「反日」の酷いコメントを取り上げていること自体が、政治的側面を孕んでしまうと思います。日韓、仲良くすべきですよね。「竹島・独島」問題は局長が指摘している通り、政治で解決すべきこと。「日本が舐めれている」と感じる必要はないと思います。それは一部の「反日」的な人の思うつぼ。NMIXXのファンは気にせず、応援していけばいいと思います。「独島の歌」は必ずしも「反日」的意図というより、韓国の人たちにとっての「植民地支配からの解放の歌」という側面があることを理解していく必要があると思います。とにかく、アンチは相手にすべきではないと思います。事務所側が日本ファンをもう少し配慮すべき、は確かにそうかもしれません。みんな、冷静にK-POPを楽しみましょう。

当然、コメントは他にも沢山書き込まれていた。ほとんどはそのYoutuberのスタンスに対しての賛同だった。何十から何百もイイねが付いているけど、私のこのコメントには「7つ」だけ。返信がひとつあったけど、まあ、それも、そうですか…って感じ。
正直、「事務所側が日本ファンをもう少し配慮すべき」の一文は必要なかったと今は思っている。日和ったな。

そりゃあ、日本人と韓国人の違いだから当然だし、日本人なら不快におもうでしょ、と思いますかね、皆さんは。

もし、そう思われるのなら、一度日本史と韓国史を「両方の立場」から少しでいいから学んでみませんかね?私たちはちゃんと学ばせて貰ってないかもしれないですよ?

…とまあ、そんな義憤というか焦りのような危機感さえ(なぜなら、あのチャンネルに書き込まれたコメントはあまりにも無知によるものとしか思えなかったから…)感じて、自分なりに強引にまとめて、note記事の中に書いて、twitterでつぶやこうと思ったのだった…でも結果的にはそうしなかった。しかも、別のタイトルの中に紛らせる形で…ここでも日和ったのだ。

自分が攻撃されることに恐れを抱いたのだよ、あたくしは。

そしてたら先日、先程取り上げた方、アサコさんがものすごくちゃんとまとめてらっしゃる。すごい。お若いのに本当に素晴らしい。私のまとめとは比較にならない(しかも私のは主観入りまくりだし…)、ほとんど把握はしていたものの、この方の記事からは色んな意味で学ばせて頂いた。リスペクトしかない。

で、この「竹島・独島」問題は、互いの、いや、特に日本側の歴史認識に問題があるのは明白で、とは言え、今の日本の教育状況を考えると途方にも暮れますわね。

ちなみに、これもTwitterでK-POPに関する鋭い発言が多いある方が、紹介していた、玄大松 『領土ナショナリズムの誕生』を借りたんだけど、中々の厚みと容量なので果たして読み切れるかどうか。あはは。

ああ、また話が逸れに逸れてしまった。堪忍。

でもね、無関係ではないし、そんなことを考えていた自分にとって、斎藤真理子さんが書いた『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』という一冊は、なんというか、とてもとても、良い風のようなものを私のこころに吹き込んでくれた。朝鮮半島から、哀しくも優しい、風を。

強い痛みを抱えて時間が止まったままの人たち。
その人たちと一緒にいるためにはどうすればいいのか。

『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』より

この問いを抱えながら、斎藤さんは朝鮮語(韓国語)と向き合う。向き合うといっても、言葉そのものと向き合うところからのスタートだ。異国と向き合う上で当然のことなのだけど、斎藤さんの思索の足跡がとても慎重に優しく、澄んだ文章でこちらに差し出してくれるからか、読んでいる私自身も「말」マル=言葉、「글」クル=文・文字、「소리」ソリ=声、が感じられるのだ。そして、「사이」サイ=あいだ、が最後に差し出される。

シンプルに言えば、K-POPを好きだと思う人は全員読んだ方いいと思う。

なぜ、朝鮮語(韓国語)=聴きなれない響きの異国の言葉で歌われるK-POPに惹かれるのか、また別の角度で知ることになるかもしれない。例えば、ことばの響きが持つ魅力そのもの。例えば、彼らが歩んできた歴史の積み重ねによる、何か熱が孕んだもの。そういったことを私たちは無意識的にも感じていたのかもしれない。

私自身、韓国映画で慣れ親しんだ、あの言葉の強い強弱・イントネーションに惹かれていた理由が知れた思いにもなった。

それからK-POPの魅力についても、やはりハングルの発音がもたらす響きが影響していることの再発見にもなった。

ハングルの成り立ちや歴史は非常に興味深く面白かったし。

そして、もっとも新たな驚きと発見だったのが「시」シ=詩」の存在だった。韓国での詩の存在の大きさは知らなかったし、あらためて詩の持つ魅力と力を、韓国を通して感じさせられたのだ。

「韓国では本に消費税がつかない」ことも衝撃的だった。素晴らしいことだな、と思うと同時に、その背景にはそれまでの表現に対する抑圧の歴史が関係しているのかもと、思いもする。

読みながら、スマホにメモしたこと。

「『それはマルになっている?』という問いかけ自体、日本人と韓国人の違いが表れているような気がする」
「ハングルへの旅 茨木のり子」「k-POP原論 野間秀樹」
「イサン 李箱」「ユンドンジュ 尹東柱」
「キ・ヒョンド」「チェ・スンジャ」「李良枝 ユヒ」
「朝鮮籍の存在を忘れるな」
「ハッとさせられた『生きられない飛行機』という表現」

自分メモ

「日本と朝鮮半島のあいだ(サイ)にはどうしても敷居がある」と斎藤さんは書いている。まさに、これなのだなあと思う。でも、斎藤さんのような、あるいはこの本に描かれた、過去に間違いなくいた、あらゆる韓国人と日本人の息吹と見えないバトンのリレーがあったのだと思うのです。

そして、忘れてはいけないのは在日の方々の存在。そこから、さらにグラデーションがあるということ。そういったことも、この本はあらためて思い出させて、あるいは、教えてくれる。

最近もどこぞの知事が追悼文を出さないなどの信じられないこともあったわね。

それを支持する都民という、日本の現実。

今の現実的な生活にだけしか目が行かず、歴史が改ざんされる、あるいは忘れること・なかったことになることの恐ろしさと深刻さを、みんな忘れているのだろうか、と思う。

忘れているのだろう。あるいは知らないのだろう。

そんな荒ぶる気持ちを論理で対抗しようと、私は今、加藤陽子という歴史学者を軸に、日本の近現代史を学んでいる最中。

そして、幾つかの日本が抱える領土問題のひとつ「竹島・独島」の存在。私はこころから、この島が2つ友愛にシンボルになって欲しい、と心から願う。その為には、私たちが過去を振り返り、歴史から学び直さなければならないのだとも思う。

頭もこころも疲弊する。それくらい、難しく、困難な道のりを経なければ解決、あるいは妥協点は見いだせないだろうとも、思う。

でも、例えば『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』のような素晴らしい本を読んだ時、こうも思える。

私たちには、ことばがある。文化や芸術がある。アイドルやアーティストがある。それらを通して互いに歩み寄れば、市民レベルで理解し合うことで政治的問題を乗り越える大きな力になり得るのかもしれない、と。

私は、以前の記事で以下のようなことを書いたことがある。

XGで世界を変える、平和を目指すという若者もいました。

言葉もありません。

音楽で平和は生まれません。平和は政治でしか生まれません。
音楽で平穏や連帯は生まれます。でも、平和は政治でしか実現できません。
そこを見誤ってはいけません。
もっと現実を見て欲しいと、おじさんは思います。
音楽を心から愛して救われてきた先輩として、これくらいは言わせてください。

この思いは今も変わらない。

それでも、斎藤さんの「ことば」は凝り固まった私のこころを凪いでくれる。私もまた、「サイ」に揺れている。それは決して悪いことではないのかもしれない。

揺れ続けよう。そこにしか未来はないのかもしれない。
あるいは、サイがあるからこそ、未来に光を見ることができるのかもしれない。

この本に出会って良かったと思う。多くの人に読んで欲しい。

例えば、NMIXXを応援したいけど、こころがもやもやとして悩んでいる人たちに、この本を読んで欲しいな、とも私は思うのだ。


最後に、生き恥を晒す創作短歌をば。

マルに触れ クルを撫で ソリを聴く 隣人のサイを越えてふれた音


最後まで読んでくれてありがとうございました。



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