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ファウチと闘い続ける理由:科学が”全知全能”に権力集中する危険性【ファウチ研】

打倒・ファウチ:ランド・ポール

何世代にもわたる大統領首席医療顧問であり、国立アレルギー・感染症研究所所長としても40年近く君臨する、アンソニー・ファウチ博士。私がnoteを始めた理由は、アメリカの、(ということは)世界のコロナ政策のトップに立つファウチ博士のおかしさをシェアしたかったからです。ファウチ博士の指示に従っていたら、コロナは終息するどころか、永遠に終わらないと思うからです。

”VSファウチ”を語る上で、ぜひ知っていただきたいのが、医師であり、ケンタッキー州選出の上院議員であるランド・ポール氏です。ポール議員は、論理破綻したマスク政策や、自然獲得免疫を認めないワクチン政策等、ファウチ博士が率いるコロナ対策の問題点を追及している議員の1人です。そして、パンデミックの責任問題にもつながる”機能獲得実験”をめぐっても、のらりくらりとかわそうとするファウチ博士を逃さず、闘い続けています。
機能獲得実験と、その研究を行ったラボでのウイルスの流出は、状況証拠的には確定と言っていい状況ですが、決定的な証拠はファウチ博士本人と、武漢ラボに握られている(た)ため、これ以上どうしようもないと考える人もいます。が、ポール議員はポジティブに”しつこい”! ファウチ博士を下さない限り、アメリカのコロナは終息しないと本気で考えているのだと思います。

科学者の9割以上が忖度しているようなアメリカの”科学の権威”、ファウチ博士。そのファウチ博士を相手に、ランド・ポール議員が戦い続けているのはなぜか?

その答えとなるような記事(音声)を、ランド・ポール議員がFOXニュースで掲載していました。

”アンソニー・ファウチの傲慢さー1人の人間に権力が集中することに、我々は異議を投じよう!” なぜ科学権力一極集中を許してはならないのかについて、とってもシンプルに語られた記事でしたので、シェアさせていただきます。

科学権力の一極集中は、なぜやめさせるべきなのか?

セレンディピティと科学的発見

記事は、ランド・ポール議員が医学部に入学した日の話から始まります。

私が医学部に入学した最初の日、学部長はセレンディピティと科学的発見について講義し、科学者が当初意図していなかった発見に偶然出会った最も有名な例としてペニシリンを取り上げました。セレンディピティには、中央の過度なコントロールがなく、自由に発想し、イノベーションを起こせる環境が必要です。科学が”全知全能の人”に権力を委ねて硬直的に画一化されると、個々の科学者の偶然の発見が未発見に終わる可能性があるのです。

”アンソニー・ファウチの傲慢さー1人の人間に権力が集中することに、我々は異議を投じよう!”
https://www.foxnews.com/opinion/anthony-fauci-covid-vaccine-mandates-immunity-rand-paul

セレンディピティは、偶然の出来事の中から価値ある発見を行うことができる能力のようなものです。

偶然の出来事から、大切なことや本質的なことを学びとること、あるいはその能力。18世紀の英国人作家ホレス・ウォルポールがスリランカの童話『セレンディップの3人の王子たち』をもとに作った造語とされる。細菌実験中のくしゃみをきっかけに抗生物質のペニシリンが発見され、実用化されたことなどが典型的な例としてあげられる。ビジネスや科学の分野においては新しい商品や価値などを生む力として注目されており、偶然の中から単なる幸運によって価値あるものを見い出すのではなく、基礎となる知識や柔軟性、行動力などのさまざまな能力や性質が総合的に備わっていることが重要である、という文脈で言及されることが多い。

https://kotobank.jp/word/セレンディピティ-1703121

犬も当たれば棒に当たる的な”ラッキー”ではありません。誰でも何となくできることではなく、セレンディピティには、りんごが落ちてきたときに、「重力だ」と気が付けるだけの基礎となる知識等が必要です。そのような前提があった上で、”中央の過度なコントロールがなく、自由に発想し、イノベーションを起こせる環境が必要”としています。

これは感覚的に理解できることですが、これをもう少し具体的に説明するために、ポール議員は、古典的な自由主義経済学者のフリードリヒ・ハイエクの議論を引用しています。

”科学者の多くは、知識の進歩を計画することはできないこと、未知への航海(研究とはそういうものだ)において、我々は個人の才能と環境の気まぐれに大きく左右されることを理解している。そして、一個人の心の中に湧き上がってくる新しいアイデアと同じように、科学の進歩は、社会によって個々の人間にもたらされた概念、習慣、環境の組み合わせの結果であり、組織的努力と同じくらい幸運な偶然の結果である、ということも”(フリードリヒ・ハイエク)。

つまり、科学の進歩の恩恵は、科学が過度の束縛を受けない場合にのみ実現されるのでだ。

”アンソニー・ファウチの傲慢さー1人の人間に権力が集中することに、我々は異議を投じよう!”

早い段階から、ランド・ポール議員は、政府のガイドラインにより、医師が彼らの専門に基づいた処方を行うことに躊躇している、現在のアメリカ医療の問題点を指摘していました。
「医師は、自分の医師としての経験や、研究や治療例を元に、独自の判断ができる。これまでのアメリカではそれが可能だったはずだ」。

実際、ファウチ博士が解決策を1年後にできるワクチン1本に絞り、現場サイドで有効性を唱える様々な治療薬を否定し続けている間、ピーター・マカロー博士は、イベルメクチンを中心とした既存薬の承認外使用により、コロナから患者を救う治療法を確立し、その治療法を広めることに尽力していました。テキサス州内だけでも、マカロー博士の他に、ステラ・イマニュエル博士(ヒドロキシクロロキン)リチャード・バートレット博士(ブデソニドを主成分とした喘息薬)をはじめとする、様々な医師が自らの知識と経験をもとに、目の前にいる患者を救う治療を行なっていました。
(”米国コロナファシズムVSテキサス医師”シリーズをご覧ください)

彼らは本来、賞賛され、感謝されるべき医師等です。しかし、実際には、キャリアを追われたり、陰謀論者扱いされたり、命の危険に晒されたりしているようです。理由は1つ、ファウチ帝国が決めた”科学”に従わなかったから

経済の中央計画に対する反対論は、科学に対しても同じである。 もし、中央の計画者が誤りを犯すと、いや、むしろそのとき、経済全体が脅かされることになる。 同様に、中央の医療計画者が誤りを犯すと、すべての患者が脅かされるのである。

”アンソニー・ファウチの傲慢さー1人の人間に権力が集中することに、我々は異議を投じよう!”

アメリカでのコロナ患者の死亡がなぜ多いのか?それは、現場医師等が訴える既存薬の効果を軽視し、本格的な臨床試験(二重盲検法によるピアレビューの研究)での結果のみを重視した、中央の医療計画者の誤りにあるのではないでしょうか。

ピーター・マカロー博士は、適切な治療を施していれば死亡者の85%は救えたはずだと発言しています。
ステラ・イマニュエル博士は、2020年7月の時点で、新型コロナには適切な治療法があり、適切な治療を行えば、3ヶ月で終息できると発言していました。

本当に85%の死亡者が救えたのか、3ヶ月で終息できたのかは、わかりません。とは言え、この状況よりは、遥かに良い結果が得ることができたのではないでしょうか。

Our World in Data

 ”中央の医療計画者が誤りを犯すと、全ての患者が脅かされる”ーーそれが今のアメリカの状況です。

もし、ファウチが地方都市の、単なるいちファミリードクターであったなら、彼の間違いはそれほど破滅的なものにはならなかっただろう。しかし、ファウチの地位は”医療界の皇帝”に近く、彼の間違いは、国中で増幅されてしまった。

”アンソニー・ファウチの傲慢さー1人の人間に権力が集中することに、我々は異議を投じよう!”

ファウチ博士のミスリード

パンデミック開始以来、ファウチ博士が犯してきた、様々なミスリード。下記は、ランド・ポール議員がその都度、ファウチ博士に疑問を呈してきたものをまとめたものになります。

アンソニー・ファウチの自然免疫を無視した根本的な決断は、誤った判断を連鎖的に引き起こし、その影響は私たちの生活すべてに染み込ませている。 感染によって自然に得られる獲得免疫を無視したために、ファウチはワクチン接種と、過去の感染による我が国の複合免疫を過小評価し、子どもや既感染者などの非常にリスクの低い人々までを含むすべての人に接種を強制することを提唱するに至った。
事実は、ファウチの主張とは真逆である。50歳から64歳までの90%以上の人が、自発的にワクチン接種を受けている。65歳以上の人の97%以上がワクチン接種を受けている。そのような状態において、子どもにワクチン接種を義務付けることを論ずるに足る十分なエビデンスはない。

ファウチが布製のマスクが効くと誤解させたために、コロナ患者の配偶者や親戚は、彼らを介護するときにも、布製のマスクが自分を守ってくれると信じ、その結果、健康を危険にさらすことになった。
ファウチが入院患者に抗体モノクローナルを投与することを禁止するアルゴリズムを作れば、最もリスクの高い患者を、最も効果的な治療法の一つを使わずに回復のために苦労するように仕向けることになるのです。
ファウチが危険な「機能獲得型」研究について勝手に定義し、資金を提供すると決めたとき、研究所からの漏洩リスクを見逃したことは、世界の知るところとなった。

”アンソニー・ファウチの傲慢さー1人の人間に権力が集中することに、我々は異議を投じよう!”

マスクのところで、もう1つ追加させていただきたいのが、昨年春頃の討論です。”感染防止の有効性9割”を掲げたワクチンを推進するファウチ博士に、「感染防止できるのならば、接種者はマスク着用がいらないのでは?」というポール議員に対し、「ワクチンを接種してもマスク着用は必要」とゆずりませんでした。当時はブレイクスルー感染が出る以前でしたから、ファウチ博士のこの発言は意味がわかりません。ここをしつこく問われ、ファウチ博士はあの時確かにブレイクスルー感染の可能性を示唆するコメントをし、”マスク必須”の姿勢を変えませんでした。その後、なぜかCDCもファウチ博士もマスク政策を180度変更し、接種完了者は以前の生活が戻ってくる!(マスクもソーシャルディスタンシングもいらない)ということになりました。

その後、アメリカではデルタ株による感染者が爆増しました。今思うと、この時にはすでにファウチ博士は、ワクチンの感染防止効果がそれほどないことを知っていたのではないかと思います。だから、マスク着用は譲れなかったのではないでしょうか。方針を変えた新の狙いはわかりません。しかし、いずれにしても、ファウチ博士を信じたマスクなしのワクチン完了者が多数感染してしまいました。

新型コロナ対策は長い間、科学に基づいたものではなかった。
権力の分散を求める議論は、本来、一人の人間の過失が生み出す損害を抑制するための議論である。一人の人間に権力が集中することに反対しなければならないのは、単にその人が悪意を持っているかもしれないからではなく、すべての人間は誤りを犯す可能性があるからである。

”アンソニー・ファウチの傲慢さー1人の人間に権力が集中することに、我々は異議を投じよう!”

ファウチ博士に悪意があったのかどうか、それは今の時点ではわかりません。しかし、ポール議員が言うように、人は必ず誤りを犯すものですから、それゆえに権力の分散が必要というのは、正しい危機管理法かと思います。
少なくとも、最初の数回のミスリードの後、彼を下さないまでも、多方面からの意見を取り入れる等、”権力を分散させる”改善は図るべきだったでしょう。

アメリカ人が誇るべき、本来の”自由”

パンデミックが始まって以降、アメリカでは”自由”という言葉は、”考えなしが自分のやりたい放題やること”というような悪いイメージがついてしまいました。しかし、”自由の国、アメリカ”の”自由”は、本来、このようなものではなかったはずです。

私の父はよく、「自由は他人の意見を尊重するからこそ人々を結びつけるのであり、真に自由な社会は、誰かが他人に自分の意見を押し付けることを許さない」と言っていました。

”アンソニー・ファウチの傲慢さー1人の人間に権力が集中することに、我々は異議を投じよう!”

それゆえに、このポール議員の父親の”自由とは”を聞いて、とてもほっとした気がします。この自由こそが、多くの古き良きアメリカ人が重視している”自由”なのだと思います。

そして、保守派議員が、”ワクチン接種には賛成だが、義務化には反対”と言っていることにも通じます。

新生児に強制的にワクチンを接種しなければならないと主張するいわゆる専門家の傲慢さと、子どもはコロナのリスクが低いのでワクチンは勧められないという意見を対比させてみてください。コロナ対策のために子どもにワクチンを打たないという意見は、受け入れても受け入れなくてもよいのです。それは、親が受け入れることも拒否することもできる単なる提案に過ぎないのです。しかし、新生児にワクチン接種を義務付けることは、親の選択肢を衰退させる。 義務化によって親の権利がつぶされると、コロナと闘うために人々が団結するのではなく、くさびが形成され、怒りによって互いに戦うようになるのです。
この溝は、ファウチの集団主義と、そっとしておいてほしいと願う人々の間の根本的な対比である。私たち放っておいてほしいと願う者は、誰にも自分の信念を受け入れさせようとする意図はないが、中央計画者や義務化の提唱者は、自分たちの信念をすべての人に押し付けることができなければ満足しないのである。ワクチン接種の義務化をめぐる議論は、自分の医療方針を自由に決めたいと願う個人と、すべての人に自分の信念を押し付けるまで満足しない集団主義者の間の戦争である。

”アンソニー・ファウチの傲慢さー1人の人間に権力が集中することに、我々は異議を投じよう!”

テキサス州ではワクチン接種もマスク着用も共に”義務化は禁止”されています。でも、それは「マスクをしてはいけない」「ワクチンを打つな」と言っているわけではなく、自由意志で行うべきと言っているだけです。そうすると、人は考えます。選ぶためには、考えて、決めなければならないからです。一方、義務化の問題点は、”指示通りにやっていれば安心”と思わせてしまうことだと思います。そもそも感染対策はマスクとワクチンで完了!ではありません。

そして、”コロナと闘うために人々が団結するのではなく、くさびが形成され、怒りによって互いに戦うようになるのです”とは、現在のアメリカの悲しい現実です。ワクチンを受けたか、受けていないかで対立したところで、コロナは終息しないどころか、コロナにより、コミュニティまでもが破壊されそうになっています。

ポール議員の記事は、次の一文で結ばれます。

アメリカ人がもう一度、自由のために結集し、医療の横暴を拒否し、各人が自分の良心に従って人生を送ることを可能にすることを期待しよう。

”アンソニー・ファウチの傲慢さー1人の人間に権力が集中することに、我々は異議を投じよう!”

ポール議員の本当の敵:社会主義

ランド・ポール議員は、ケンタッキー州選出の議員ですが、テキサス州レイクジャクソンで育ち、ベイラー大学に通った、テキサンです!だから、持ち上げているというわけではなく、彼がテキサス出身者というのは、今回、経歴を調べてみて、初めて知りました。ただ、個人的に、テキサスにある保守的な考え方は、(銃以外は)共感できる点が多く、そういうこともあり、知らない間にポール議員に注目していたのかもしれません。

敬虔なクリスチャンでもあり、ケンタッキーにある自分の眼科クリニックでは、医療費が払えない人にも無料で眼科手術を行なってきたというポール議員です。現職に就いてからも、医療ミッションツアーに参加し、グアテマラとハイチで、200人以上の患者(多くは白内障で失明)の視力回復に尽力したとのことでした(プロフィールより)。

ポール議員は2019年に『The Case Against Socialism』を出版しています。今回のリサーチで著書の存在を知りましたので、まだ読めていないのですが、Amazonにあった内容紹介では下記の通りです。

(前略)ランド・ポールは『The Case Against Socialism』の中で、スターリンの収容所から現在のベネズエラの飢饉に至るまで、社会主義の歴史を概説している。彼は、社会主義ヨーロッパの「ユートピア」についての一般的な誤解に取り組んでいる。北欧諸国はアメリカ人と同じように資本主義を愛し、何十年もの間、バーニー(サンダース)が最も愛するものを切り捨ててきたのだ。
社会主義の復活は、多くのアメリカ人が20世紀の最悪のイデオロギーの真の危険性を忘れてしまったからこそ可能なのだ。チェ・ゲバラのTシャツを着ている大学生の数だけ、飢えで死んでいくベネズエラの子供がいる。共産主義国キューバからは、絶望的な難民が、抑圧的な検閲、配給される食料、劣悪な病院から逃れるために逃れてきている。中華人民共和国のような社会主義独裁国家は、賢明な近代国家を装いながら、言論の自由を潰し、大規模な監視国家を運営している。
社会主義政府は経済的自由を提供するどころか、国民を奴隷にしている。彼らは安全と平等という幻想的な約束をしながら、個人の自由を制限し、国家権力を強化し、人間の営みを奪い、市民を生活保護に依存させる。
もし社会主義がアメリカで定着すれば、世界で最も自由な国家の運命が危うくなり、抑圧的な政府支配の疫病が解き放たれることになるだろう。
本著は、その脅威に対するタイムリーな反応であり、アメリカの自由を脅かす力に対する行動を呼びかけるものである。

https://www.amazon.com/Case-Against-Socialism-Rand-Paul/dp/0062954865

現在のアメリカで、ファウチ博士と闘うというのは、キャリアの面でも、生命や財産の面でも、大きなリスクを背負った闘いとなっています。ポール議員も、主要メディアではかなり叩かれています。
それでも”ポジティブにしつこく”闘っているポール議員ですが、著書紹介から、彼の本当の敵はファウチ博士ではなく、社会主義にあることがわかります。

社会主義という大きな敵を前にすれば、ファウチ帝国といえども、コマの1つにすぎません。ポール議員が闘い続けられる理由は、ここにあるのだと思います。

ワクチンの義務化反対というのは、ワクチンの効果がある・なしを問うたものではありません。効果や安全性についての情報公開を渋りつつ(裁判はFDAが敗訴)、現状で必要かどうかの検討も半ばの状態で、接種を強制し、職を奪おうとすることの異常性を問う問題です。

”抑圧的な政府支配”を許さないためにも、ご自身のワクチン接種状態とは関係なく、義務化にはぜひ反対していただければと思います。

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