「考察」視点があると、コンテンツが10万倍楽しくなる。

ぼくは「考察」という言葉が死ぬほど好きです。何かのフェチズムを感じる程好きです。それは中二的な響きの良さもあるし、めっちゃ頭いい感じもするし、字面の見た目もカッコいいからです。考察。声に出して言いたい。

どなたかが作ってくれた「左ききのエレン」の考察アカウントもあって、すごい面白い説をたくさんツイートされてるので興味ある人はフォローしてみて下さい。

ぼくは「考察」という言葉も、行為も好きなんですが、作家として作品に触れる際の必要不可欠な視点である気もするし、シンプルにこの視点があるとコンテンツを何倍も楽しめると思います。

「二度読む価値が無い作品には、一度読む価値も無い」という金言を誰かが言っていたんですが、ぼくにとってのコンテンツもそうで、好きかどうかの基準が「考察する強度があるか」になってきます。

強度というのは表現という構造物としての強度と言いますか、あるいは解像度の高い画像ならどこまで拡大してもちゃんと描かれているみたいな感じ。「深掘りに値するか」というとちょっと違って、別に奥行きがあるか否かが良し悪しでは無いと思っているんですが、少なくとも「考察できる」のが好きってだけで。

こう言うと「つまりエヴァンゲリオンみたいなの?」って言われるんですけど、そういう極端な例だけじゃなくて、世の中の大半のコンテンツは考察できると思ってます。余談ですが、実際エヴァは本当に大好きなコンテンツだけど、あれは逆に考察できない様に作られてる気がしてて、ストーリーとか設定に関してはマジで思考停止して観てます。演出とかだけ咀嚼してる。

あと多い誤解で「売れる作品の法則とは」みたいな話になる時があるんですけど、ぼくは一生そういうのは分かんないと思ってて、そういうのは考察じゃなくて分析だと思ってます。こういうマーケティングとか企画的な視点は、作家によっては足枷になりかねないと思ってます。それは編集に頼ればいいと個人的には思う、漫画家の場合は。

ちなみに、ぼくは広告代理店出身なので、ほっとくとそういう視点がどんどん入ってきてしまうので、そうならない様に意識的に「分析」は考えない様にしてます。試した事あるけど、ろくな発想にならない。

話が脱線しますが、コンテンツを売る時には分析やマーケティングや企画が絶対不可欠です。つまり作品を作る事と、売る事を、一切切り離した方が良いと言う気持ちです。「面白い作品が売れるとは限らない」は真実だし「売れた作品は基本的に面白い」も真実だし、でも「面白いのに売れない」がある事を忘れてしまうのは綺麗事だと思ってます。だから分析は必要。

月額会員向けに、実際ぼくがどういう視点でコンテンツを勝手に考察しているか書きます。

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