7.リストラということ
この弁護士事務所で、正式に正社員となってから、代表弁護士から所内にWeb専門チームを作って欲しいと依頼があった。
「メンバーは12名ほど集めて、所内でWebに関するすべての作業が完結するようにして欲しい」
この事務所は色々な事業を展開していて、Webサイトは数十持っており、総ページ数も2,000ページを超えていた。
CMS等のシステムの導入も行われておらず、これまで全てを手作業で更新している。
制作・開発についても、外部に委託していたので、外注費が多くかかっていたことも事実だ。
しかし、おれの方からは、企画と運営を社内、新規開発、リニューアルは外注で行う形で、組織の提案を行っていた。
新規の立ち上げが常にあるわけでもないので、全ての開発メンバーを所内に揃えておくと、その分、無駄な人件費が出てしまう。
何度か相談してみるも、代表の意向は変わらなかった。
所内で話をしてみると、この事務所は某有名サイトを運営する弁護士事務所「B法律事務所」からから分離独立しており、どうやら、その仲違いした元事務所がそういった専門チームをもったらしい。
「他の部署もやたら増員するように言われてるんですよ」
まともな方の事務員があきらめと、心配がない混ざった顔で言った。
「B事務所も、A事務所も儲かっている分規模が大きくなっていますからでしょうね」
おれのいた事務所の過払い金請求の売上は、明らかに落ちつつあった。
交通事故やB型肝炎といった次の事業の移管期ではあったが、進んで増員をおこなうべきタイミングでないのは、誰の目から見ても明らかだった。
まあ、見栄や建前も重要な世界なのだろうと思い、あとは、代表弁護士の莫大なポケットマネーに期待しつつ、当初から一緒に仕事をしていた大葉さんという女性のWebディレクターとともに、いくつかの人材会社をとおして面接を開始した。
構成としては、ディレクター3名、SEO担当1名、開発2名、デザイナー4名を募集することにした。前職までの経験でも、ここまで一気に人の採用を行ったことはない。
大葉さんもおれも、あまり所内に味方がいなかったこともあり、優秀な人材を採用して部署を強くしようといこうとなった。
書類選考は500を超え、3ヶ月ほど、毎日多い時は5人以上の面接を行った。
もとより、給与が低いことで有名な業界である。なかなか良い人が見つからなかった。
ここで助かったのが、人事の大泉の存在だ。
はじめ、彼もおれたちに冷たかった。
ある面接の時に、10年前から毎週聞いている伊集院光さんのラジオの話をすると、
「齋藤さん、あれって、伊集院の番組ですよね」
「え、マジで!大泉さんも聞いてるの?」
「火曜の爆笑問題も聞いてますよ」
もっと若かった頃は、こういったことで同僚や先輩と仲良くなれたことが多かった気がする。
大泉の協力もあって、3ヶ月後には大葉さんとともになんとか納得のいくメンバーを集めることができた。
自分も含めて12名のメンバーを組織化して、必要なインフラを整えるのに1ヶ月。
その間にメンバーの連携も取れるようになり、色々な仕事をこなせるようになっていった。
大葉さんもおれも、今までの苦労が報われたように思った。
がんばっていれば、必ず状況は良くなるのだ。
そう思っていたところ、唐突、辞める大泉と入れ替わりで新しく入った人事の矢内と、事務局長の高橋(この人は実質的なおれの上司にあたる)に呼び出された。
青ざめた顔の二人から話を聞くと、人を雇いすぎてお金が足りないので、Webからは6名リストラして欲しいといった話だった。
何かの冗談だと思いたかったが、どうやらマジらしい。
「1ヶ月前に採用したばかりの人達ですよ」
「残念だけど、キャッシュがないんだ。このままだと、3ヶ月後に倒産してしまう」
大人しいだけが取り柄の局長が、申し訳なさそうに言った。
「他の部署も大量にリストラするんです。とにかく、6名のリストラを行って下さい」
人事の矢内がわざと強く言っているのも良くわかった。
矢内とは、レトロゲームと格闘技の話で盛り上がれる、数少ない信頼できる同僚だった。
「一旦、検討してみます」
二人をこれ以上、困らせても、なんの解決にもならないのは分かっていた。
3日後に、辞めさせる人員リストを出すように言われ、会議室を後にした。
もとより、辞めさせるつもりはない。
他の部署はどうだか知らないが、3ヶ月間、必死に探して集めたライトスタッフだ。
せっかく前職を辞めてきてくれたのに、リストラさせるわけにはいかない。
その日は、Web戦略事業部のリーダー職飲み会だった。
11名のメンバーをディレクション、デザイン・コーディング、サーバー・プログラム開発の3チームに分けて組織化を行い、3人のリーダーを据えていた。
入所時は派遣会社からの採用だったが、大変優秀だったのですぐにデザインチームのリーダーになってもらい、この後正社員化の話を進めていた大林もリストラ対象だった。派遣社員なら契約上切りやすいといった理由だった。
リーダー達がこれからの仕事について明るく前向きに話している中、呆然と、それでもなんとか笑顔は絶やさずに、飲み会を終えた。
六本木駅で分かれた時、大林の顔が見られなかった。
「リストラだと、ふざけやがって。だから、社内に人員を持つのは反対だったんだ」
今更言ってももう遅かった。
もとより、コストセンターの部署だ。
しかし、このまま黙って従うのは、納得がいかない。
何か手があるはずだった。
弁護士事務所の経営状態は公開する必要がないため、現在どういった売上推移とキャッシュフローの予定推移になっているのか定かではなかったが、集客から受任までの数、使用して広告費から、ある程度の推測はついていた。
一人辺りの人件費も把握できている。
局長の話では、現在、受任している案件の入金が行われる、半年後にはキャッシュが回復するらしい。
6ヶ月間、6人分の人件費をとりあえず確保できれば良いわけだ。
一晩考えた結果、広告費に目を付けた。
信じられないと思うが、この事務所は1ヶ月に億に近い金額のWeb広告に投資を行っている。
1ヶ月に8,000万円使用しているとして、運用を行っている代理店の取り分が20%から30%。これを所内で運用してしまえば、最大で2,400万円のコストが削減できる。
所員の人件費が1ヶ月120万円程度だったため、
120万円×6人=720万円
代理店は数カ所にわけて依頼しているので、その内いくつかをやめて、所内の運用に切り替えてしまえば良い。
こういった話は、黙っていても他から伝わってしまうのは目に見えていたので、次の日にごく一部のメンバーにリストラの話と同時に、この計画を打ち明けた。
広告運用経験のあるメンバーと計画の考案と提案書の作成を開始した。
代理店の運用を一手に任されている、長沢という男にも一応ダメモトで声をかけた。
長沢は、某有名代議士の公設秘書で、この事務所にはWebのコンサルティングとして常駐していた。あまり所内の実務には協力的ではなく、所員からの評判もあまり良くなかった。
「僕はリストラには賛成なんですよ」
にべもなく断られたのはいうまでもない。
年間、3億近い利益を、自分の紹介した代理店に立てさせている男だ。
断るのは当然だろう。
そして、さすがにおれもこれ以上はおそろしいので書かないのだ。
事務所の経営をになっている代表の内、1名の賛同は得られた。
局長と人事からも何故か反対された。理由は代表に逆らうのは良くないと言った内容だった。
そんなこんなで、自分も辞めることを覚悟で粘っていたところ、派遣社員だった大林の契約は、人事の方で勝手に切られてしまった。
あまりにも情けなくて、自分の席に戻ると涙が出た。
不思議に思う、他のスタッフに大葉さんが、
「情に厚い人だから」
と言っていたが、彼女も心中はおれと同じだったろう。
リストラ旋風が巻き起こると、優秀なスタッフは自分から、退職していった。
ディレクター、デザイナー、プログラマーから、4名退職していった。
今思えば、自らリストラをすることが嫌だったから、自分は騒いだのかもしれない。
結局、1名を切り、4名が辞めたことで、おれの部署のリストラは終了した。
さすがにこれ以上切ってしまうと、仕事がまわらなくなるといった危惧もあったようだった。
所員数十名をリストラしてから数ヶ月を経て、事務所のキャッシュは回復したようだった。
その後、事務所の経営会議にまで出席するようになり、給料もそこそこ上がったが、数ヶ月後、おれは退職した。
矢内も、大葉も、そして、局長も、もうあの事務所にはいない。
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