見出し画像

3.インターネット初期時代のECサイトが教えてくれること

 1998年、インターネット時代聯盟期、ネットに繋ぐにはモデムが主体で、電話回線を経由してネットに繋いでいた時代。

 テレホーダイが24時間化されて、ようやく、いつでもネットに繋げるようになってきていたあの頃。

 昔は電話回線を通じてインターネットに繋いでいたので、ネットに繋いでいる間だけ電話代が加算されていったのだ。

 初期のテレホーダイは、夜の11時〜翌朝8時まで、登録した電話番号なら何時間かけても電話代定額で利用できるサービスだった。

 就職超氷河期に、某有名S社に第二新卒で採用され、そのまま在籍していれば超安泰だったはずなのに、若気の至りで、Webで一旗あげてやるぜと、修行のつもりで当時、インターネット業界では最先端を行っていた、出版社兼Webメディア企業、一番町のI社にWebデザイナーのアルバイトとして雇ってもらい、そこで1年ほど修行を積んだ。

 独学で、HTML覚え、契約しているプロバイダのサーバーに、CGIやPerlを使った掲示板やチャットの設置くらいは、文系大学でも学生の頃にできるようにしてあった。

 S社在籍中は、家庭用ゲーム機のプロモーションプランナーをしていたが、営業色の強い仕事にまったくなじめず、何を思ったかTCP/IPの解説本等を買い込み、ある種間違った方向でWeb業界に飛び込む準備を、チャクチャクと進めたいたと思う。

 I社では、Photoshop、Illustratorを使用してのデザインはもとより、HTMLコーディングから、JavaScriptをはじめとした各種スクリプト、SQL文を使用したデータベース操作、Webサーバーやデータベースの仕組みの理解から立ち上げ方法など、今のおれのバックボーンになる知識や経験をたたき込んでもらった。

 I社は、入社しても、自分のPCがあてがわれない。
 各部署をまわって、PCパーツをもらい歩き、それを元に自分のPCを組み立てる。
 これは、なかなか良い方法で、各部に行くことで新入りとしては挨拶できるし、パーツをもらうので、色々と話も出来る。

 その後も、

「こないだのビデオカードどうよ?」

「もらったメモリーちゃんと動きましたよ!」

 ってな具合に、お互いに話すきっかけも作ってくれる。

 I社では、当時ではまだ少なかった、ECサイトのWebデザイナーを担当していた。

 1999年当時、CMS(コンテンツマネジメントシステム)なんて便利な物は言葉すらなく、毎日静的なHTMLをひたすら手作業で更新するという、今にして思えば、気の遠くなるような作業を行っていた。

 I社は、出版社だったため、毎週、多い時は200冊以上の書籍が発売されるため、例えば一覧ページも、200冊分のサムネイルを手作業で追加していく。

 1冊の本の表紙画像を3サイズ分、Photoshopで加工して、一覧ページ、カテゴリページ、商品ページに設置。紹介テキストをHTML上に入れ込んでいく。

 3名ほどのメンバーで、毎週こういった更新作業をひたすら行うのが主な仕事だ。

 一方で、営業が独自に契約してくる商品もあり、こちらは、その商品に合わせて、専用のページを作成するため、ゼロからデザインを起こしてコーディングできる。

 入社してすぐに与えられた仕事が、音楽誌で取り扱っているCDで、こちらの専用ページのデザインコーディングだった。

 S社にいた頃、レコードのアートディレクターの方にかわいがってもらっていこともあり、また、自分でデザインの勉強もしていたので、ダメ元でデザイン、コーディングを行ってみると、

「沖田君、なかなかいいよこれ」

と、部長に意外な好評価を受け、コードの最適化と画像の圧縮をやり直しただけで、そのままサイトにアップされることになった。

 自分の手で作った物が、評価を受け、それが商用ベースに乗っかた時の感動は今でも忘れない。

 嬉しかった。

 作るということはこんなにも楽しいことであったのかと、あらためて思った。

 その後、マイクロソフト、住友3M、Logicool、トヨタ等、けっこうなナショナルクライアントの、デザインとコーディングを任せてもらい、一つ一つの企業や商品に合わせて、デザインやコーディング、時には、商品説明用のライティングも行って、サイトを作成していった。

 自分でアイディアを出して、デザインを行い、デザインを実現するためのコーディングを工夫する。

 それが評価を受け、そのサイトのでき次第で、売上に影響を及ぼす。

 そういった、一連の制作過程とビジネスへの流れが、たまらなく面白かった。

 毎日見る物が全てがデザインの教科書になったし、コーディングスキルを上げるため、難解な書籍を読むことも苦痛ではなかった。

 なにより、自分の作った物が評価を受け、その会社のサイトとして公開されるのは、大学を卒業して1年足らずの自分にとっては、世の中に認められたような気がして、なんともいえない優越感に浸れた。

 苦労がなかったわけではない。

 今のように、ググればPhotoshopの便利な使い方が大量にでてくるなんてことはなく、

「今からやってみせるから、後ろで見てメモれ」

 デジタルデザイン誌のバリバリのデザイナーである先輩が、作業する様子を後ろから見ながらメモを取る。

 フィルタも今ほど充実していなかったので、これも先輩のやり方をノートにメモして、家に帰って練習したりした。

 金曜の夜に厚さ3センチはあるようなデータベースの専門書を渡され、

「これ読んでこなかったら月曜日から来なくていいから」

 と言われたこともある。

 できあがったWebページはソースを全てチェックされ、無駄なコードを書いていれば怒られる。

 回線速度が遅い時代だったので、少しでも表示が遅いと指摘を受ける。

 常に何秒でページ全体が表示されるかに気をつけながら、デザインを考え、画像を圧縮して配置する。

 当時は、DreamWeaverは2.0。デザイン誌の先輩からは、そんなものを使うから、無駄なコードが入るんだと言われた。

 その人は、Photoshopで作った画像をそらでスライスして、そのスライスした画像にあわせて、こちらもそらで、テキストエディタのみを使用してコーディングを行う。

 試しに自分でもやってみたが、とてもマネできるものではなかった。

 同じ部署のWebデザイナーの先輩で、夜は早稲田の夜学に通い、昼はI社で働くという、今では珍しい苦学生のようなことをしていた佐藤先輩には特にお世話になった。

 毎週、大量にある単純更新作業が日に日に辛くなってくる。

 そんな中、先輩が色々と試行錯誤を繰り返して編み出した、Photoshopやテキストエディタのマクロを使ったり、VisualBasicで簡単なプログラムを組んだり、正規表現で一斉置換を行ったりといったテクニックを、一緒に工夫しながら教えてくれた。

 このテクニックは、10年以上経った今でも役に立つことがある。

 今でこそWordPressのプラグインをはじめ、CMSを持つECサイトは簡単に設置することができる。

 そういった便利なツールの利用が出来ない場合、如何に泥臭く、新たな工夫を行って、作業を簡略化していくか、そういった常に工夫を重ねる姿勢を教わったと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?