4.ベンチャー弁護士事務所が教えてくれること

 その女弁護士から、所員200名、弁護士100名、計300名に向けてメールされた内容を要約すると、

 1. 2ヶ月前に入所したWeb担当の沖田は弁護士をバカにしている。その証拠に、会議が終わった後、弁護士は残って相談を続けていたのに、あの男は会議室を出て行った。

 2. コンサルティング会社の奈良は、弁護士の要求を取り上げず、無視してWebの制作を行ってしてしまう。沖田もまた同じである。態度自体、弁護士をバカにしている。

 3. 以上のことから、弁護士側としては、当事務所のWeb制作には協力できない。

 およそ、こんな内容だった。

 その弁護士事務所に、Web担当者として入所して二ヶ月目のおれにとって、なかなかパンチの効いた状況だ。もちろん、おれにとってはなんのことやら、青天の霹靂の「ヘキレキ」ってどうやって書いたっけ?と呆然と思った。

 その上、フロアに常駐するコンサル会社の奈良という男のことは、おれも良く思っておらず、こいつと一緒にされていること自体、別の悪意を感じた。

 とりあえず、先輩にあたる事務員の佐藤に、どうしたら良いかといったことを聞いてみると、

「ほっとけばいいんですよ」

 吐き捨てるように言った。

「まったく、嫌なら辞めればいいのに」

 どうやら、おれに向けた言葉ではないらしい。

 よくよく聞いてみると、三峯と呼ばれるその弁護士は、以前からやっかいな人であったらしい。

 転職9社目、30代前半の若手弁護士が代表を勤める、ベンチャー弁護士事務所に入所した時のことだ。ちなみに、事務所なので、入社でなく入所になるそうだ。なんか、刑務所に入るみたいで始めは嫌だった。

 弁護士事務所なんて言うと、ちょっと年をとった老練弁護士と若手弁護士、事務員数名で構成され、名探偵や刑事かなんかと事件解決に関わったりするか、アメリカの巨大ファームで、IQの高い連中を相手に、巨大な国家的陰謀に巻き込まれていくのようなものを思い浮かべるのはおれだけだろうか。とにかく、ドラマか映画の範疇でしか良くわからない世界だと思う。

 若い代表が率いるだけあって、雇われる方の弁護士も、同年代かもっと下の若手弁護士がほとんどだ。

 事務員もほとんどが20代から30代。以前、訪ねたことのある弁護士事務所とは明らかに雰囲気は違う。

 20代前半だろうが、社会人としての経験がなかろうが、ひねくれてようが、一応、先生ともてはやされる人種である。

 社会人としての経験もなく、ひたすら試験勉強に励み、合格後は研修を受けて弁護士となってきた人がほとんどだ。

 昨今は、司法試験制度が改革されて、合格率も高まり、新卒弁護士の数も急増したため、ちゃんとした弁護士事務所に入所して、しっかりとした先輩弁護士について修行できる人はごく一部らしい。新卒弁護士も、就職先がないのが現実だ。

 おれのいた事務所は、弁護士の数を増やすため、新卒弁護士と呼ばれる研修所上がりの弁護士達を青田刈りして人数を揃えていた。

 新卒弁護士を大量に雇用するのは、もちろん理由がある。

 一つに、弁護士100名が在籍とPRできるのがまず大きい。若い代表弁護士が立ち上げた設立数年の弁護士事務所に箔を付けるには、そういったことも必要だ。

 もう一つは、弁護士という資格さえあれば、後は事務員が流れ作業で処理することで、大量に売上げを確保できる案件があるからだ。

 その最たる物が、たまにCMでても見かける「借金の返済、払いすぎていませんか?」というあれだ。

 過払い金請求と呼ばれるこの分野は、簡単に言うと、法律で決められた行為のみ弁護士が行うことで、後はその業務に慣れた事務員さえいれば、流れ作業で処理していくことができる。

 例えば、最初に依頼者と接見して内容を聞く際や、実際に受任行為と呼ばれる依頼を受ける行為、後はいくつかのポイントで弁護士という資格を持っている者が立ち会えば、後は資格のない事務員が仕事を進めることで、過払い金請求が出来てしまう。

 そんな簡単に話が進むのかと思うかもしれないが、法律業界では過払い金請求自体が一つのビジネスとして成り立っている。

 今、TVでCMを行っているキャッシング会社はもとより、グレーゾーン金利で余分な金利をとっていた金貸しは、裁判をしても勝てる見込みがない。

 弁護士事務所と、暗黙の協定の様なものもあり、請求が行われれば一定の額を返還するこになる。

 このビジネスを作り出したのは、元日本弁護士会会長で、以前、都知事選にも立候補している、あの弁護士だ。

 どんなに経験のない人でも弁護士としての資格さえ持っていれば、後は仕事に慣れている事務員が処理して、請求が成立するというわけだ。

 弁護士側の取り分は、返還額の20%。法律事務所の事務員の給料は、他の業種に比べて給料が低い。新卒弁護士ならベテラン弁護士より安く雇用できるので、利益率も高い。

 そんなに過払いしている人が多いのかとも思うが、日本人はまじめな人が多く、コツコツと払わなくて良い金利を返していた人が大量におり、1年で数百億の報酬を得た事務所もあるそうだ。

 3,000万円も過払いをしているような中小企業の社長もおり、弁護士の報酬は600万になるため、全国どこへでも行ったそうだ。

 そんな過払い金請求も、現在は下火になっている。

 過払いをした人達が大分刈り取られてしまい、昔のように数千万の過払いをしているような人はもういない。

 おれの入所した事務所も、過払い金請求の依頼が突然激減して、事務員に支払う給料が払えないと、大リストラを行った。

 現在、こういった法律事務所が次のビジネスにしているのが、交通事故の保険金請求、刑事弁護、B型肝炎訴訟だ。

 離婚問題や、相続問題といった、相談だけで終わってしまい、受任(契約)になかなか結びつかない仕事はほとんど行わない。しかし、離婚慰謝料や相続額は億を超える場合は別らしい。

「財産が2億以上の相続でない限り、やりたくないんだよね」

 冗談か本気か知らないが、その事務所に所属していた税理士先生もそんなことを言っていた。

 交通事故や刑事弁護、B型肝炎は、既に重大なリスクが発生している被害者か、切羽詰まっちゃってる人達が対象のため、受任に結びつきやすいのである。

 交通事故の保険金請求は、実際に保険会社から支払われる金額と、保険額について裁判になった場合、裁判所が保険会社に命令する支払額に違いがあることがビジネスとなっている。

 裁判所の命令する支払い保険額は、規定の満額に近いため、たとえ裁判を行わなくても、弁護士に依頼して保険会社と交渉した方が高い保険金が支払われる。

 弁護士費用も、支払われた保険額によって決まるため、ユーザー側も保険金が入ってからの支払いとなるため、依頼も行いやすい。

 専門の事務員と弁護士は、交通事故による怪我や後遺症についても詳しく、専門の医師とも連携しているため、保険会社としては満額で支払うわざるを得ないのである。

 刑事弁護は、警察に拘留された際に、刑事訴訟専門の弁護士に依頼した方が、起訴される確率を大幅に減らすことが出来る。

 対象となる依頼者は、窃盗や痴漢、痴漢えん罪など、既に犯罪を犯している可能性の高い人達だ。

 日本は起訴されてしまうと90%以上有罪になってしまうため、起訴される前に刑事弁護専門の弁護士に依頼をすることで、本人との接見から被害者との示談交渉によって起訴を回避できる。

 法律事務所によっては「ヤメ検」と呼ばれる、元検事の弁護士を多く採用しているため、警察や検察側の事情にも詳しい。

 警察に捕まってしまったら、まずそういった、刑事弁護専門の弁護士事務所に連絡した方が良いだろう。

 B型肝炎訴訟は、既にB型肝炎について、一定の証拠と手続きを踏めば、肝炎の程度に応じて国が賠償金を支払う法律が制定されているため、B型肝炎で証拠があれば、誰でも国に対して損害賠償を請求することが可能だ。

 しかし、証拠を集めたり手続きをするとなると、素人ではやはり大変だ。

 こちらも、B型肝炎に詳しい事務員と弁護士がいるため、専門家にお願いした方が効率が良いし、失敗も少ない。

 こういった案件は、過払い金請求と同じように、弁護士は法律で決められているポイントで働けば、あとは事務員が処理できる。

 また、この3つとも案件としては、常に発生しており、在庫が沢山ある状態だ。

 そんなこんなで大量に青田狩りされてくる若手弁護士達。

 社会人経験もない上、事務所に入所すれば、どんなに経験が上の事務員より、事務所内の位は遙かに上だ。パースで分けられた机を与えられ、先生、先生と何くれとなく事務員がお世話をする。

 新卒の若者がそんな待遇を受けるとどうなるかというと、先の話にもどるわけである。

 もっとも、若いのに素晴らしい人格者の方も大勢いるし、弱きを助けようと常に頑張っている若者弁護士も大勢いる。

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