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伊能忠敬にまつわる思い出話

昨日はこの本を読んだ。

なぜ伊能忠敬かというと、ちょっとした縁があるからだ。尊敬する人物は誰かと私に尋ねる人はいないけど、もし聞かれたらリチャード・ファインマン、オットー・リリエンタールと伊能忠敬あたりの名を挙げるのかもしれない。

伊能忠敬は引退してから業績を上げた素晴らしい人物として有名ではあるけれど、何より身近な偉人という感覚を持っている。この本の最後の章に少しだけこれに関することが書かれていた。以下は、伊能家6代目の伊能洋先生の陽子夫人の回想だ。

ある日、息子たちの卒業した小学校の社会科の先生から「伊能忠敬」を授業で取り上げるので、何か資料がないか相談があった。納戸の隅からダンボール箱を引きずり出し、ぼろぼろの紙をつまみ出したときの先生方の驚きように、私たちのほうがびっくりしてしまった。

『伊能忠敬の日本地図』より

この小学校の社会科の先生というのが、小学校で私の担任をしていたH先生だったのだ。

H先生は、今学校の先生をしていたら確実に問題にされるだろうと思われる先生だった。学校の近所で毎日のように飲み歩き、担任している子供たちの親が飲み友達で、行きつけの店のひとつは親がやっている店という体だった。

しばし近所で泥酔している姿が目撃され、翌日学校で、昨日はあそこでゲロをしてしまったと子供たちの前で懺悔することもあった始末で(笑)。

でも、子供にも親にも愛されていた先生だった。見た目は怖いし、𠮟る時も怖いのだけど、生徒ひとりひとりに愛を持って接していたからなのかなと思う。地元の小学校では先生は全部で6年だったか8年だったか、それほど長くは働かなかったけれど確実に名物先生となっていた。

話を戻すと、H先生は社会科の授業のために、伊能先生の家から測量器具や着ていた裃など、伊能忠敬にまつわるモノを借りてきた。裃は小学高学年の私たちにピッタリのサイズで、伊能忠敬が大きくない人だったのだと実感した。

杖先方位盤を手に持った時の、ずしっとした重い感触は今でもよく覚えている。江戸時代に作られた、この精密に水平を保つ羅針盤にものすごくワクワクした。何と言っても本物だ。本当に凄かった!

千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵

この経験が、私にとって伊能忠敬を「本の中の昔の偉い人」ではなく、身近な存在にした。まあ私が勝手にそう思っているだけだし、そう言いつつもこの昔の経験もしばらく忘れてすらいたのだが…。

そういうわけで、今になって改めて本を見つけて読んでみたわけである。読んでみると、伊能忠敬は非常に緻密な作業を進めたのだなとよく分かる。計測自体は当時でも一般的に行われていた手法だったのだけれど、出発点と終点が同じ2つの経路を別々に計測したり、夜には星の高さを測ることで、常に誤差が出ないように確認していた。

それが当時の技術では驚きの、正確な地図を作ることを可能にしたわけだ。作った地図は、経度方向は実際とズレがあるけれど、緯度方向にはほぼズレが生じていない。測量を通して求めた緯度1度の長さは、1000分の1の誤差しかなかったというから驚きだ。

ああ、仕事はこうやって進めるべきだよな…と反省させられた次第である。


この記事は別ブログに書いたものを移行したものです。

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