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足助のおばさんと介護 137

同居のおばあさんが元気なのに対し、実家の母はまだ入院中です。病院にいることでホッとしたのは確かですが、実家の母が毎週FAXで送ってくれていた朝日新聞の記事を読むことができません。(毎週日曜日に、藤井聡太七段の連載記事を送ってもらっていた)。

入院とはいえとりたてて病気なわけではないので、今週に予定していた十勝行きは決行するつもりでおりました。むしろそれを励みに、母が気力を持ち直してくれれば、と願っていたのですが、退院後の生活を話し合う面談(おそらく介護認定)が木曜日に行われることになり、日程的に無理になりました。こちらも残念ですが、迎えるつもりで準備をしてくれていた北海道の親戚の皆さんをもえらくがっかりさせてしまいました。

しかし、このブログを引っ越すにあたり結局「さくらインターネット」さんにお世話になったのですが、今、はてなからさくらのレンタルサーバーに乗り換えることを検討しており、さくらインターネット大阪で「まりなカフェ」という対面サポートを受けることにしました。北海道へ行くはずだった水曜日です。

はてなに引っ越したらGoogleアドセンスの申請をしようと色々試みたのですが、所詮素人の手に負えるものではなく、大阪とはいえ直接パソコンを操作しながら教えてもらえるというのはめちゃくちゃ頼れるサービスです。しかも無料です。

さくらインターネットアドセンスの申請をするわけではありません。サーバーを乗り換えてリダイレクト設定のやり方を教えてもらうのです)。

転んでもただでは起きないおばさんです。(2019年8月26日 記)

はてなの仕組みをよくわかっていないのですが、文章に含まれるワードからジャンプして解説を読むことができます。

本来ならば、明日セントレアから帯広へ行く飛行機で向かう予定だった私の故郷が鹿追町なんですが、この鹿追町について書かれたはてなブログがない、ということで、この機会に書いてみたいと思います。

朝ドラ「なつぞら」の舞台が十勝、とされていますが、過去にも書いた通り天陽君のモデルは叔父神田日勝です。鹿追町には「神田日勝記念館」という町営の美術館があり、今年は大勢の来館者があったそうです。私も母も訪れるのを楽しみにしていました。

もっとも、来年が日勝没後50年で、東京駅で特別展示が行われるそうです。

叔父は早世しましたので、天陽君も劇中で死んじゃうのかなと心配していましたが、まだ出番があるようですね。

私が鹿追町に住んでいたのは小学校2年生まででしたが、両親はその後も本籍を鹿追町にしていましたので、戸籍謄本が必要な時には親戚に頼んで郵送してもらうということをしていました。私は結婚を機に、足助に本籍(豊田市に合併してからは豊田市)を移しましたが、父が亡くなった時の相続など、結構面倒なことをやり続けています。

私たち一家が鹿追を離れたころは、日本中で都会へ向けての大移動が行われた時期だったので、もともと人口が少なかった土地で一層過疎化が進んだはずです。

私は、大学を卒業する時に、愛知県以外に北海道の教員採用試験を受けることも選択肢だと思っていましたが、その前に結婚することが決まったので就職浪人を続けた挙句専業主婦という、なっちゃんとは正反対の人生を歩んだのでした。

なっちゃんには、ぜひ働く母親として、初志貫徹してほしいと思っています。(2019年8月27日 記)

(元ブログ 北海道行きはキャンセル: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)故郷 鹿追町: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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