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足助のおばさんと癌 10

意識不明に陥って、家族、とりわけ夫には心配をかけたと思います。その反動でもあるのか「頑張ってもとの生活に戻れ」という励ましなのか、目が覚めてから退院後まで、なんだか夫の態度がつれなかったです。

退院時には夫の車で帰りました。左手首に入院患者用のバーコードのリストバンドがはめられたままでした。途中で気が付いたのですが、まあ、引き返すまでもないと、はさみで切り取りました。

まだ、よたよた歩きでしたが、その日からの食事を用意する必要があります。退院直前までおかゆでしたが、自宅では普通に白飯を食べてもいいと言われました。とりあえず冷ややっこでも食べようと、3連パックの豆腐を買って帰りました。

夫は主夫としての修業を積んで、私が留守の間も滞りなく家事をこなしていました。ですが、離乳食のような私の食事は手が出せないというか出さないというか、一度に食べきれなかった冷ややっこにラップをかけたものが何度も出てくるのでした。

南豊田病院の初回の診察にも夫の車で行ったのですが、夫は車で待機していて診察には私が一人で行きました。そこで「命を落とすところだった」と言った主治医が呆れて、夫にも診察室まで来るようにと言われたのですが、夫は携帯電話を持っていないので、私はよたよた歩きで駐車場まで呼びに行きました。

歩くのはよたよたでしたが、夫は早く運転しろと言うのでした。励ましなのかめんどくさいのかわかりませんが、車に乗れなくては日常生活が送れないというのは冷徹な事実です。6月7月を家で過ごしましたが、9月からは英語教室を再開させるつもりで私も頑張りました。8月からはオフィスに戻りました。

英語教室を再開する前にパソコンを新しくしていろいろチャレンジしたようです。「魔法のiランド」に投稿したりAmazon著者セントラルに登録したりしています。その延長で「kindleパブリッシング」にたどり着きました。転んでもただで起きない七転び八起きです。この辺はブログの記事にありますので、2017年8月あたりを探してください。

また、読書量が飛躍的に伸びて、語学、教育学、小説、手当たり次第に読みまくりました。

ただ、この辺の記事は「はてなワード」がまだ直せていませんので悪しからずご了承ください。(続く)(2024年2月9日 記)

(元ブログ 癌サバイバーとして 10: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)参考 再び「魔法のⅰらんど」: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)Amazon著者セントラル: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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