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足助のおばさんと介護 179

月曜日は友引でした。不祝儀に友引を嫌う習慣は最近はあまり考慮されないらしく、葬儀場や火葬場の都合で友引でもなんでも執り行うこともあるようです。おばあさんがとりわけ「暦」を気にする人だったのと、「日曜日に亡くなって翌日通夜」という日程はあまりに急すぎるので、一日置いた火曜日に通夜という日程を組みました。幸い、この一週間は穏やかにあたたかくて、寒さ知らずでした。

というものの、月曜日の朝には本證寺さんが「枕経(まくらきょう)」を読みに来てくださいました。あまり一般的ではないと思います。Wikipediaには、「臨終諷経」が同意語として挙がっていますが、この地域では「諷経(ふぎん)」はお寺さんではない弔問客のことを言います。通夜と葬儀を「やすらぎホール」で行うため、自宅へ「諷経」に訪れた方もたくさんありました。おばあさんが高齢ですので、そのきょうだいや知り合いも高齢なわけで、葬儀場まで行けない方も多いのです。

ついでに書くと、この地域では通夜に「淋し見舞い」を持参します。ローカルルールですが、ウスダさんはこういう事情にも精通していらっしゃいました。それと同時にコロナ禍を経て、葬儀の常識もかなり変わってきているらしいです。

とにかく、ひっきりなしにお客があるわけです。ウスダさんとの打ち合わせは夫と義妹に任せて、私はお茶くみに徹しました。何年かぶりに話すママ友もありました。

ウスダさんとの打ち合わせで、「着付けは頼まなくてもいい」というのは、義妹も私も喪服は自分で着れるからでした。胃がんの手術からこっち、自分で着付けをしたことはなかったのですが、大枚はたいて着付けを習ったのもこの日のため、という気持ちもありましたので、タンスから喪服を一式取り出しました。半襟がなかったので、足助の呉服屋さんに電話して「夫が取りに行くので用意してください」と頼みました。地元議員にFAXを送ることはしませんでしたが、この電話でおばあさんが亡くなったことは足助の商店街に知られたことと思います。(続く)(2023年12月27日 記)

(元ブログ Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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