技法的な、なにか。

私が使っている技法まとめ。(おそらく全てをカバーしきれてはいない)

文書の成分比率

①セリフ ②描写 ③行動 ④セリフに伴う行動
この4つのバランスを取る。

私は、逆に①を完全に無くし②③④だけのSSも書いた。(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=12595703)
とても書きづらかったが、②③の練習にはなった。練習にはいいかもしれない。だが、一度やったら、私は、もうこんな縛りは二度とするまいと決めた。

ただし、バランスは人それぞれであって、①が書きたいのなら①を増やして書いて問題ない。

情景描写

小説の中の天気は、物理法則になど従っていない。
これは、主人公や語り手の心の中に従っているのだ。
暗い気持ちになれば空は曇り、心が荒れ狂えば雨が降って雷なんかも落ち、明るい気持ちになれば晴れて、虹までかかったりする。
ただし、これはベーシックな話であって、もちろん、主人公がとても悲しい気持ちなのにも関わらず空は晴れていたりすることもある。型を破るのもまた芸術のうちなのだ。
その場合は、「空は晴れていたが心の中にはまだ晴れない雲が残っていた」とか、「空は能天気に一面のっぺり青々としていた」(←十分にひねくれていればこのように快晴だってバカにできるのだ)とかいう書き方になる。

天気はそんな感じである。
あとは、他のものにも応用できる。
花や、木や、空、星、風、草、廃墟のビル、道路、鉄筋コンクリートなどなど。
この方法は、つまり、『自分自身の認識を、他者に仮託して示す』手法である。
我々は、無意識のうちにこれを行っている。世界が薔薇色、などという言葉を聞いたことがあるだろう。極端に言えば、楽しい気分になれば何もかも楽しく見えるし、悲しい気分になれば有象無象が自分を責め立てているように見える。
とまあ、そういった「視点の外部化」の手法であるといえよう。

意味の付与

例えば、ある言葉に作品内だけの特別な意味を持たせることで、日常的な言葉、ことわざや慣用句などを無理やりダブルミーニングにする。
冒頭にポエムや詩のようなものを持ってきたりするのは、私はそういう意図でもって、その世界での文化のひとつであると思って書いている。
ちなみに、冒頭に独白を置くのはこの他にも意味があったりする。これについては後述する。
これはRoche's limit (https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=12424149)を読んでもらうのが分かりやすいのだが、月、星、空、ロシュ限界などの言葉にこれの原作に加えて特別な意味を与えている。(ここでも原作者とさらにその原作者たちにも感謝を述べておく)
これは持論だが、モノに付与された意味というものは、そのための眼を持つものにだけ見える霊のようなものだと思う。

それはさておき、日本文化においては、特に月はすでにたくさんの意味付けがなされている(例えば、立待月、居待月などもそういう言葉だ)。風景描写も多いはずだ。
これは次の話にも繋がる。

既存文化による多層化、あるいはミーム加算

既にある文化を絡めてみることで、作品に深みを出す、という手法もある。
さきほどの月もそう。
セリフで、「こんな話があるんだって」というのでも構わない。(『月が綺麗ですね』なんてその代表のようなものだ。西洋における"月の兎"の見え方を持ち出した例も無数に存在する。)
あとは、花言葉なんかもそう。シロツメクサの花言葉を知らないという人は、一度調べてみよう。きっと驚く。
『まちカドまぞく』では、旧約聖書から元ネタを引っ張っていたりする。
音楽、文学なんかもそう。映画、技術などなど、文化と呼ばれるものはたくさんある。偉人伝や歴史的な出来事もある種該当する。

歴史あるネタを引っ張ってくるのは教養であるので、どんどん引っ張ってよい。
そうして見れば、和歌、落語なんかをネタにした作品があることにもうまく説明がつく。
twitterで1000年前の食べ物やら江戸時代の妖怪やらが流行るのも、もしかするとそういった文化の影響かもしれない、というのはただの邪推だろうか。

…………なお、いくら有名でも引っ張ってくるのに注意が必要なネタやミームがあることにも留意すること。ひとたび紛れ込めば作品を乗っ取ってしまうほど強力なものもある。

作風(タッチ)

話の内容によって、たとえば絵本や童話のように書けばいいのか、それともハードボイルドに書いた方がいいのか、はたまたしっとりと書いた方がいいのか異なるはず。
作品に合った作風を用いよう。

戦闘シーンなら文を短くしたり擬音を入れたり、優しいシーンなら心内描写多め、真面目なシーンなら客観描写多め、など、自分のタッチを。

西尾維新さんの作品は、たいてい冒頭に長々とした独白が置かれていて、それがもはや独立した作風として考えられている。(ように思える。読んだことのある作品しか読んでいないので、分からないが。)

また、一文あたりの長さも要である。一文だけで三行のスペースを使ってしまうような文豪の作品もある。

世界観の説明(第一文編)

作品が完全に現実世界に沿っているものでない限りは(そんな作品の方がよほど稀だろうが)、どこかで世界観を説明しなくてはならない。

ところが、第一文からガッツリ世界観を説明的なセリフで解説することは少ない。「いっけなーい遅刻遅刻」とか、「メロスは激怒した。」とか、「ある日の暮れ方のことである。」とか、「石炭をば早積み果てつ。」とか、第一文目だけでは十分な説明がなく、その一端を見せるだけのようになっているだろう。
そんなに最初から説明的に堅苦しくなってしまっては、読者が逃げる。
逃がさないためには、入口を広くして、入ってしまったものを掴んで離さないようにするしかない。
私が今手に取ったラノベ「俺たちは異世界に行ったらまず真っ先に物理法則を確認する」などは、異世界での第一文目が、「んおおおおおおおああああああああああああああああああああああッ!?」である。
インパクトを与えて、「何が起こっているんだ?」と読者に思わせさえすれば、こっちの勝ちである。

世界観の説明(二文目以降、白虎野メソッド)

そして、その後、読者を逃がさないことが重要である。
個人的には、主人公がひねくれていないのなら、「主人公がその世界の中で当たり前だと思っていること」には説明を書かないのが良いのではないかと思っている。
ひねくれていないのなら、目の前の物事を逐一説明したりせず、驚いたことや、感心したことなどに小出しに説明的な言及が入ってくるはずだ。
例えば、夢の中の話では、それが明晰夢でないのなら、いかに有り得なさそうな事柄でも、実際に存在しているのを、普段我々が網膜の外側の世界の存在を無条件に盲信しているのと同じように、疑いなく書かなくてはならない。
ちなみに、中二病はひねくれている内に入る。世界の構造を疑ってかかっている人間がひねくれていないわけがない。私もひねくれの一人としては、ひねくれ上等という感じであるが。
話が逸れたが、もちろん二文目から説明的にしても構わない。というか、驚くべき事象が起こってしまっている世界においては、そうならざるを得ない。戦争が起こっているとか、いきなり世界が終焉したとか、いきなり誰かが死んだとか。

この世界観の説明という点において、私は「白虎野の娘」を聞いて感銘を受けた。ここに歌詞を書いて解説するのはJASRACが怖いのでやめておくが、

①初めにインパクトで掴ませる
②徐々に説明的で理解可能になる
③説明された世界観の中で起こる胸を打つ現象

という風な構成になっており、私はこのような世界観の説明の方法を「白虎野メソッド」と呼んでいる。勝手に呼んでいるだけなので、「白虎野」と「白虎野の娘」は違うだろ、とかいう指摘もしないでほしい。

オーバーな当てこすり

明らかにおかしなキレ方をすることで精神の不安定さを表す。

(例) このサイコロめ。四角四面に利口ぶりやがって。お前がそんなせいでいつまで経っても僕があがれないんだ。

示唆(implication)

あえて言及を少なくする。読者に空白部分を想像させる。

(例) 朝。ベッドの上。横にはマスター。まだ眠い。

曖昧からの、突き落とし/突き上げ

最初何通りかの解釈ができる文を作っておき、最終的に主人公にとって、または読者にとって、最もありえそうな選択肢『でない』解釈を後に示す。
この時、主人公の最初の選択肢は、主人公にとって有り得ると信じるに足るだけの根拠がなくてはならない。でなければ、

(例) みんな何かを隠しているかのようにそわそわしている。私は嫌われてしまったのか? → 実はサプライズの用意だった

相反性(アンビバレンス)

人間というのは、つくづく煮え切らない存在である。
相反するふたつの大きな感情を頭の中に抱え、悩み、一度解決したと思っても、影に潜んでいた呪いがまた頭をもたげて苦しめてくることもあるし、気づかなかった祝福が闇の底から救ってくれることもある。

だからこそ感情は美しい時もあり、醜い時もある。
そもそも感情と論理、多値性と一値性自体が大きな相反する二面なのだ。
私たちは、その二面性とうまく付き合ってやらねばならず、そこに向かって奮闘することで輝く。

隔世界的煌めき

ひとが形而上的な意味で自分は別世界に旅立ってしまったのだと知った時、そこには真の意味での自由が現れ、規範から逃れて再度その外側から自分自身を構築しようとする動きがある。それは自立であり、自分という存在の確立である。その自由に触れた時、魂はもっとも煌めきを見せる。
という持論である。

これが書けるのなら書きたい。

挙げられるものでは、こんな感じ。
自分の書き方を明文化して分析すると頭の中に概念が形を伴って作られて意識的に扱えるようになるので、是非やってみてほしい。というか、他の人の書き方を見たい。正直なことを言えば、取り入れたい。よろしくお願いします。本当に。

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