好きなことへの没頭こそが、良い人間関係を生む。

自分の好きなことを第一優先で、それに没頭することが、人間関係さえも良いものにするという法則に気付いた。

通俗的な解釈だと、自分のことばかりにこだわっていないで、もっと他の人のために気を遣ったり、他の人のためになる行動をすることが、人間関係をより良くするための方法だということになる。

しかし、それは間違いであることに昨今気付いた。


自分の好きなことに没頭するべきなのである。ゲームでも旅行でも何でもいいが、とにかく自分の好きなこと、これをしている時間だけは幸せというものをまず見つけるべきだ。

別のノートで詳しく書こうと思うが、人といる時間が有意義かどうかというのは、人と会うまでに過ごしてきた孤独な時間の結果・精算である。人といるその場でどれだけ相手にサービスできるか、ではなく、人と会うまでに自分がどれだけ濃密な、そして優しい孤独を過ごしてきたか、が、いざ他人と会った時に試されると思ったほうがいい。

そしてその孤独を有意義にするための方法が没頭だ。


承認欲求を捨てる技術をいかに磨くかだと思う。人は規範の奴隷ではない。規範というものは人の手で作られたものではあるが、さて規範そのものには人格がない。規範は生き物ではなく、実際に存在していると認識しなければ存在しない。つまり(言葉は悪いが)集団催眠のようなものだ。しかし、人が社会的な生き物である以上、集団催眠にかかっている人々の中で生きるためには、この集団催眠と一定の調和を求められることになる。

しかし、調和は必ずしも迎合ではない。

迎合することで集団催眠と調和しても、やはり無理が出てくる。酒を一滴も飲まずに酒飲みのテンションに合わせるのは一定のストレスを生む。そして何より、そういう形で結ばれた人間関係は、対等なものではなく、被支配的である。人間関係のストレスとはすなわちこれである。


本来人と人が会うことは素晴らしいことだったはずである。しかし、一定の規範に属することをノルマとして自分に課してしまった段階で、それは我慢の時間、自分を押し殺す時間に変わってしまう。


視点を変えよう。何故自分が思っていることを素直に喋ってしまうと、人に受け入れられないと思ってしまうのだろうか。

2つの理由がある。

まずは、そのあなたが喋った相手が、人と支配的な関係を結ぶことを望んでいるもしくは、規範に属することを良しとする集団催眠者だからである。

もう一つは、あなたが有意義な孤独を満喫できておらず、孤独の中で攻撃的・辛辣な性格を育んでしまったからである。

辛辣な性格を内包してしまったまま社会で調和することは難しい。多くの人は、その調和するための技術を習得しようとする。しかしそれは迎合であるため、ほとんどの場合うまく行かない。ストレスがたまる。本音が漏れる。急に爆発する。臭いものにいくら蓋をしたところで臭いものは臭いのである。

ならば、臭かったものを臭くないようにする努力をしなければならない。これは簡単なことではないが、人間関係を改善する上で一番有効な手段である。

そのためのかなり有効な手段として私がおすすめするのが、「好きなことを見つけ、それに没頭する」ということである。「好きなこと」の定義は、「例えそれで他者よりも劣っていたとしても、劣等感が楽しさを上回る」ものだと個人的には思っているし、そのようなものになるまでその趣味ないし行動を引き上げたいと思っている。

承認欲求は本能に近い欲求である。誰しもが心に寂しさを抱え、人に認められたいと思っている。そして、より人より優れたいと思っている。しかし、それは人生の罠である。

いかに「没頭力」を磨き、承認欲求を自分から消しされるかが、幸せのための鍵だと思っている。それが達成されれば、きっと人は心から相手の喜び、技能、果ては人格そのものを尊敬・祝福できるほどの「心の余裕」が生まれると思う。そして、返報性の法則に基づいて、そのような自然な尊敬・祝福はそのまま自分に返ってくる。良い循環が生まれる。そして何より、その循環は全て自分の中から発生している。まさに理想という他はない。


2018年は、この目標をさらに強固なものとし、実践する年にできたらと思う。そのような宣言の意味も含めて、ここに手記を残しておく。


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