17 白日を聴いて、捻くれを自覚する
確かにいい曲です。サビのメロディーは切なさを演出して歌っていて気持ちよくなれる成分マシマシだから覚えるしみんな歌うし…
King Gnuさんはいい曲を作るし、歌唱の演出もオシャレで本当に天才的なミュージシャンだと勢いよく首を縦に振る。
だけど。それでも、捻くれきったわたしの感性は「何だか違う」と喚いていました。
歌詞は過去を悔やんでいたり、辛い人生に直面していたり、自分にピッタリな側面もあった。歌詞では一応は逃げずに見つめることができているけれど、わたしは勿論違う。
不幸な状況を嘆きはするものの改善をしようとしない自分が炙られているようで、リピートするからうちに苦しくなってきた。
直後は、自分は少しでも前向き要素を持つ爽やかめな曲が苦手なのかも、と割り切っていた。もっとぐちゃぐちゃで人間の汚い面を全面的に取り上げたようない曲が好きなのだと思い込もうとしていた。
自分がメンヘラであることを全面的に押し出し、「これでいいんだ。これが自分だ。」と言い張っても許されるような歌詞を持った曲を積極的に受け入れているに過ぎない。
そうなるのは病気だから?感情がよくないから?自分が繊細だから?
どれもこれもいいわけではあるけれど、本当は逃げることを覚えてしまったからかもしれない。逃げても死ぬことはない。なんだかんだで生活できる。一応は、助けもある。自分と同じ人は、ネット上にごろごろ居る。
自分の正当化で必死な自称メンヘラの誕生である。これはよくある現象であり、少なくとも日本であれば全国各地で観測可能。
楽しいことがないわけではないはずだ。助けてくれる人がいないわけではない。明日はなにもしなくても来るし、今すぐ死ぬ必要があるわけではない。
理由をなにかしらつけて、逃げたいだけの人間。そんなわたしが大嫌い
他の人の作品から学ぶことは多い。今日はKing Gnuさんの曲から自分の愚かさを改めて自覚することとなった。
誰も悪くないはずだけれど、また鬱が加速する。今日も寝られない。
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