ノートの使い道が決まらないから、駄文をのっける 2

コンビニで売ってる
百幾らで1リットルの紙パックには
緑茶や麦茶、ウーロン茶やジャスミン茶など
様々な種類がある。

お茶とは別に、パイン水、ピーチ水、グレープ水、みかんウォーターなど、
水をベースにフルーツのフレーバーをミックスした
謎のウォーターが多数存在する。

レモン水という馴染みある名前の水もあることから、
○○水
という名称には決しておかしな所はないのである。

しかしながら、
100%と銘打たれた500ミリリットルの果汁ジュースが売られている
すぐ側に、○○水やら○○ウォーターなどと書かれていても
なにやら貧乏くさいような気にもなるのだが、
私はそれを買う。
迷わず買う。
なんなら、玄米茶1リットルと合わせて2リットル買う。
もちろん一人で飲む。
なんなら、合わせて1時間以内に2リットル飲む。

トイレに行きたくなるはずである。

だが、私はトイレに行かないのである。
何故トイレに行かないか。
それは、トイレにはおばけが居るからである。

どうしてトイレにおばけがいるのか。
その答えを知るものは少ない。

なぜ知るものが少ないのか。
なぜなら、おばけはトイレにいないからである。

おばけは居もするし、居ないのである。
では、おばけとはなんなのか。

私がおばけのことを思うとき、
おばけは、私の頭の中に存在する。
それは想像上のおばけである。
そんなものは、居るのか居ないのか
実際の所はわからない。

私がおばけにびっくりする。
それは想像上のおばけではなく、
現実の対象としてのおばけである。

それが実際におばけであろうと、そうでなかろうと、
私がおばけとして驚いた瞬間に、
おばけはおばけとして、実際に存在する。

つまり、
おばけが存在しようとする時、
人を驚かせることでしか、
おばけは実際に存在し得ないのではないか。
そう考えるのである。

さて、どうしてそのようなことを私が考えたかと
ご興味をお持ちであろうか、否か。

否であろう。

だが、さて、どうしてそのようなことを私が考えたかと言えば、
私がおばけだからである。

おばけとしての私が、
この世界に存在することが出来るのは、
つまり、人を驚かせた瞬間によってのみ。
だ、と、言うことを、私は声を大にしていいたいけれども、
おばけだぞ~。

おばけはおばけとして、
人を驚かせる事でしか存在し得ないとして、
それではどうやって人を驚かせればいいのか、
どうすれば、この世界に存在できるのか、
おばけがおばけとして生きていくのは、
なかなかどうして、世知辛い。

そんなことを思うのであるが、
私はおばけであるために、
こんな文を読む者も、この世にはいないのである。

これはつまり、あの世の文なのである。

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