むだい



私の心の整理のために、しっかり泣くために書いています。一種のセラピーでしょうか、うんうん。
全部書いてからここをかいてるけど、涙が止まらないわ。ははは。

先日、恩師が          。

私は、先生が体調が悪い、ということで9月にお休みされるのを聞いて、そこから教室を任せてもらっていました。

毎週のように先生のご様子が教え子間で共有されるなか、しっかりと受け止める、心の準備をする、という向き合い方は、結局いまのいままでできませんでした。

先生は、私が4歳のころからレッスンを受けている(かっこよく言うと師事)方です。
レッスンの様子を見て、タップがどうこうではなく、なんかみんな楽しそうだな、と思って始めました。「自分で言いに行きなさい」といわれて、アンプの近くにいる先生に「タップを教えて下さい」と直接お願いしました。先生という存在に、教えてくれ、と言ったことはこの時以外ないですね。
2歳くらいからスタジオには行っていたので、母のレッスンに付き合って連れてこられて、母のレッスンの邪魔をして途中で疲れ果てて寝ちゃうんだよ、という話(事実)を、よくほかの生徒さんに話されています笑
先生は、「クラシックタップ」と言われる分野のプロです。クラシックって言い過ぎだと思うんだけど。最近のTVでよく見るリズムタップとはまた別物です。フレッド・アステア、興味ある人は見てください。

たぶん、私は先生が当時までに教えていた中では最年少だったんだと思います。
初めて基本のステップを習ったときは、おそらく私を静かに拘束するために「同じステップを50回やれよ」といわれました。純粋な私は、しっかり50回数えて「終わりました」と伝えました。先生のタップは、バレエのように基本ステップがn番となっていて、それを知った私は、よく「100番やって!」ってお願いして、毎回いろんな100番を見せてもらっていました。本当は8番までしかないことを知ったのは小学校中学年になってからだと思います笑。いやあ、困らせてごめんね。

小学生の時、授業中に暇なときは、座りながら音が出ないようにタップを踏んでいるんだ、という話をしたときは「授業を聞きなさいよ」とたしなめられました。ちょっとは褒められるだろうと思っていたのでがっかりした記憶があります。でも、実は座って踏む方が難しい、ということを聞いて、なるほどあの行為は無駄ではなかったのだな、と思いました。最終的に「なんでそんなに座って踏めるんだ」っていう褒め言葉?ももらいました。で、「授業中に踏んでるから」って言ってまた「授業を聞け」、って言われました笑。結局今でも暇なときに座りながらタップを踏む癖は変わってません。傍から見たらただ足癖わるいひとだよな…。

発表会の時には、演出として自分を叩かせたり踏ませてきたりする演出を(笑いのために)されていました。叩いたことはあるけど、踏むのは無理でした。さすがに無理じゃない?舞台とはいえ。ほぼ解読不能の癖のある字で書かれた手書き台本も懐かしい。結局、最後の舞台は大学1年生のときです。

大学生になってからは「なんでも踏める」というお墨付きをもらいました。振付さえできれば先生ができるよ、とも!最近では、先生の代わりにステップを教えることもありました。9月の始めにお休みをされたときは、休んでいる間はよろしく、と言ってくれていたそうです。私が新しい曲を進めてもいいですか、と聞いたときは喜んでくださったそうです。きっと、一緒に踏めるのは最後だろうな、くらいには思っていました。教室には来てくれるかなって。

これからも恐らくタップ教室には教える立場として通い続けますが、やっぱり私は「じん先生の代理」として教え続けると思います。


ここからは、先日、故人と面会したときのことなので、苦手な方はお気を付けください。

いざ、お棺を目の前にしたとき、急に、こわい、どうしよう、と涙が止まらなくなりました。
もの、になってしまった先生が受け入れられるのかが怖くて、お顔をみることに恐怖を覚えました。私が「じん先生」と認識している方とはちがうものになっていることを確認することに恐怖を感じていました。両親に背中を押されて、なんとかお顔を拝見したとき、ああ、やっぱりじん先生の実体は、いなくってしまんだと、目の前にあるのは先生の入れ物なんだ、と思ってしまいました。きれいなおかお、という表現は聞いたことがありますが、そのきれいさは人形などに感じるそれでした。人ではなく。

それでも、今までいろんな作品で誰かが行っていたように、故人を感じる、ということには納得できるようになりました。私の場合は、なんとなくまだいる気がする、っていう感じです。いらっしゃらないけれど、新しい振付は無いけど、それでもスタジオや、みんなのそばには先生がいるような感じが何となくするんです。うまく踏めると「先生よりうまく踏まないでよ」って言われるし、下手な人には「誰に教わってるんだ」ってボケるし、「どこに出しても大丈夫」と言われたことが、今わたしが先生の代理をしている担保です。どうしても、まだ先生が       っていう言葉は使えない。

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