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「PR3.0を考える」スタートラインに立つまで

先日開催されたPR3.0カンファレンス(公式ハッシュタグ #企業と個の新しい関係構築 )にボランティアスタッフとして参加した。

ボランティアスタッフは、基本的にはカンファレンス当日のお手伝いと、カンファレンス実施発表から実施までの、200日ほどの準備期間にあった中規模イベントのSNS実況や後片付け。他にも、企画を固める前の案出しなどにも多少関わった。
とはいえ、この形にまで作り上げたのは他でもなく主催のPR Tableさんであり、ボランティアスタッフとは言っても直前まで最終形をほとんど知らなかった。

これだけの大きなイベントを、自社で全てを終わらせてもよい中、こうやって関わり方を広く開放していただけたおかげで、スタッフ側という貴重な経験ができた。改めて、あの熱量の高い場で「仕掛ける側」のお手伝いが少しでもできたことをとても嬉しく思う。

(カンファレンスまでに行われた中規模イベントも、15回くらいあったうち10回近く行ってる、、! こちらもありがとうございました。多少、セミナー実況ができるようになりました)


自覚なく「マイナススタート」の実際

以降は、PR3.0のことというよりも、自分語りが中心になってしまうので何卒ご容赦いただきたい。PR3.0というか、アップデートに対する考察は今後書いていく予定。

※スタッフ稼働でほとんど聞けていないためです。twitterの実況や、レポートなどは読んだりしています

それでも果たして、なぜ自分語りを書きたいのかというと、カンファレンス当日やこの200日の活動を通じて、広報PRを考えるスタートラインにやっと立てた気がしたからである。


ボランティアスタッフに参加することを決めたのは、カンファレンス実施発表より少し後の2018年2月下旬。まだこの頃は自分の殻を破り切れていなくて、怖がりで自信のない、でも頭でっかちなPRパーソンでしかなかった。

2012年に事業会社広報になってから、当時の勤め先の目まぐるしい組織変化や業界変化を見るにつけ、メディアリレーションは解決策の一部でしかない思いが強くあった。でも当時はまだまだメディアリレーションが広報業務の主流でかつ花形。自分の「本質的な広報活動」の感覚に従って業務をしているが、私がやっていることは広報ではないのかもしれない、と、広報コミュニティなどでの居づらさを数年来感じていた。
当然ながら多少の取材対応などは経験していたが、メディアリレーションが自分に向いていない、どうにも苦手な類の仕事である気しかしないからなおさらだった。

もともと低い自己肯定感、強い劣等感も相まって、腹の中でずっとずっと、チャコールグレーに染まったもやもやを抱えてしまっていた。

頭でっかちだったから、カンファレンス実施発表があった時も、私が見ていた広報の方向性がまさにPR3.0なのではないか、やられた、羨ましい、という気持ちだった(後出しでしかないので、今考えるとおこがましいけど)。


その後まもなく、ボランティアスタッフ募集の知らせを聞いた。羨ましさが勢いになって、応募した。
ちょうどこの頃が、ボランティアスタッフでもご一緒した吉田ハルカさん山川空さんが運営している「広報LT大会#PRLT )」で、今までやってきた社内広報のことをLTしたタイミング。このLTがなかったら、勇気を出せず、ボランティアスタッフへの応募はできなかったかもしれない。


頭の中をやっと外に晒せた200日間

私はコミュニティ活動もやっておらず、むしろそのような類は苦手な自覚がある。以前から発信を増やしたい思いだけはあったのと、LTにてハードルが下がったのもあって、今までできていなかった発信活動に注力することにした。

最初は何か発信しても見向きもされない。これまでの活動の積み重ねもなく、信頼もないから当たり前である。無名の会社にいるからなおさら期待もできなかったのだろう。それなのに私自身は前述の通り頭でっかちだから、お恥ずかしいがこれだけですぐめげそうになった。
最初は、身の丈に合わない高い自意識とずっと戦っていた。「頑張る」とか投稿したりして、ただの意識高い人になっていたと思う。

自分を騙しながらも発信をしばらく続けていると、本当に少しずつではあるが、共感してくださる方やためになるとおっしゃってくださるが増え、自信になっていった。

また、コミュニティのイベント開催などのタイミングで、ボランティアスタッフの方とも定期的に会えたのもとても大きかった。もともと仲良くしてくださっている方とこれまでより頻度高くお話できただけでなく、新しく出会った方々にも話をたくさん聞いていただいた。
どの方もPRのアップデートに熱心な方で、たくさんの刺激を受けたばかりか、自分の考えをぶつけ、フィードバックをいただける機会になった。

当然ながら、コミュニティ運営元であるPR Tableの方々からもたくさん学ばせていただいた。セッションの企画案出しや、中規模イベントの企画切り口、イベント当日の話の持って行き方など、すごいなーと思うことばかりであった。
他のボランティアスタッフの方が、カンファレンスや中規模イベントの企画に対し意見感想を出されている一方で、私は大したことを話せず。自分が向いている方向が偏っていることを痛感するとともに、Public Relationsという概念の壮大さを感じざるを得なかった。

1回、ランチイベントにてゲストという枠で呼んでいただけたのだが、この時も思った以上にうまく話ができない自分を嫌でも実感させられた機会だった。考えていることをコンテンツ転換するのは今後の大いなる課題である。
コンテンツ力を磨き、どこかでまた呼んでいただけるように頑張りたい。


活動しないとPRはアップデートされない

準備期間の200日の学びは、何か活動しないとPRのアップデートなんかできない、という、よくよく考えたら当たり前のことだった。
もちろん通常業務はちゃんとやっているのだが、そこから得られたノウハウや疑問を腹の中だけで抱えていても、何も始まらない。頭でっかちな当時を振り返るからこそ、そう思う。

いや、ボランティアをやり始めた当初は、PRのアップデートということを、あまり自分ごととして考えられていなかった、が正しい。もちろん、アップデートした方がいいし、そうなって欲しいというのはあったのだが、自分がその活動に何か貢献し得るとなんてつゆほども思っていなかった。

200日間かけて、動けるところは動いた結果、暗くてねじれた感情をまっすぐにでき、広報PR業界に対して私でも何かできるかも、という心持ちになることができた。

集大成となるカンファレンス当日には、スタッフとして動きながらたくさんのお知り合いに声をかけていただいて、とてもとてもうれしかった。
何人かは自分からも声をかけた。登壇者で過去お会いしたことがある方も。声をかける勇気があった自分に、一人でびっくりした。

そして、「広報PRの方がたくさんいる場で堂々としていられる」こと自体が私にはものすごく成長だった、ということに気づいた。

このカンファレンスに紐づくPR Tableさんのコミュニティが今後どうなるかはわからないが、少なくとも私にとってはこれからがアップデート活動のスタートである。
もっとできることを増やしたいし、業界のアップデートに貢献したい。

カンファレンスの締めにも、同じ発言があった。聞いたその場よりも、終わってしばらく経った今の方が、自分の気持ちの整理もついて、いろいろな思いがこみあげてくる。

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最後になりましたが、コミュニティ運営元のPR Tableの皆様、この度はいろいろお世話になり、本当にありがとうございました。おかげさまで、スタートラインに立てました。
これからも、広報PRのアップデート活動を自分なりに続けていきます!

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