見たことのない自分、「らしさ」への旅
2021年になった。年明け早々だが、緊急事態宣言がまもなく出るということで、しばらくは自粛ムードで世の中は進むのだろう。
感染症の恐怖もあるし、諸々の影響を鑑みると、早く落ち着くことを願うばかり。
ところで、昨年から続く自粛生活、皆コロナ禍やステイホームで自分らしさを探しているらしい。
こんな記事を読んだ。
自分のごきげん。
私がコロナ禍よりずっとずっと前から、もう長らくずっとずっと、探していたのがそれだった。
昨年から在宅勤務となり、時間ができて自分の大事なものに集中でき、なりたい自分に毎日近づけている日常は、(私にとっては)決して悪くない。
まあ、モテはモテでいいんだけどな。モテるような自分であるならば、自分自身がちょっとだけごきげんになるから。
自分は自分だから、飽きたくない
かつて、ある女性有名人に憧れた。こうなりたいと願っても、もちろんなれるわけがない。なれないとわかっていても、なりたかった。
その方と私は似てもないし、年齢もそこそこ離れている。なんなら、熱心にテイストを真似していたわけでもない。
当時はもはや、憧れだけが空回っていた。
それから十数年、30代も板につき、さすがに今は、自分らしさが感覚的にはわかってきた。
それだけに、もう少し「自分らしさの先」に行きたいなと思うようになった。
自分がいいと思える自分になりたい。この自分好きだな、が毎日あるように。
毎日納得がいく自分になるように。
違う自分が見たくて、でもそれを実現させるアイテム(洋服など)を集めても、維持管理でつまずく。
欲張れば欲張るほど、到底理想通りにはいかないので抜くところは抜きたいと思っていたが、その抜き加減もまだ納得がいっていない。
しかも、似合うものと好きなもの(気分的に身につけたいジャンル)が逆側に近く、バランスが取りにくいのが悩みだったりもする。うまいこと真ん中にもっていきたいのだが。
こんな悩みが一挙に解決する、素晴らしい雑誌の特集を、情報を、首を長くして待っている。「自分に合っている」だけではなくその先の、きっと自分自身をうまく裏切れるような、おもしろい提案が欲しいのだろう。
今のままの自分では、誰よりも自分がずっと見ているから、きっと飽きてしまうのではという恐怖があるのだ。
ずっと、自分を好きになりたかった
不自由なく育ち、家族との関係も良好。普通の家だったが地元で有名な中高一貫校に行かせてもらったし、小さい挫折はあったけど、周りの助けで立ち直ってこれた。就職も結婚もして、仕事だって充実している。
でも、なんかひと押し、足りない。
憧れの人になれると到底思えない「自分」を認めたくなかった?
いつもそれらしいところに落ち着いていく「自分」の、新しい姿が現れるのを待ち望んでいる?
自分を、好きになりたかった。
自分を好きになれる、魔法のような方法があるなら知りたい。
なんであなたはそんなに自信がないの、とよく言われる。
もはや自分でもよくわからない。底なしの渇望感、普段はあまり出さないように頑張っているつもり。でもここまでくると、人のせいとか環境のせいとかとは思えない、他の何かのせいにするのは申し訳ないくらいだ。
渇望感はあるけど、ぼちぼちの図々しさと、時々のなんとかなるさ精神があるので生きてはこれている。
「ただの、こじれた、完璧主義」
知ってる。知らないふりして蓋をしていただけ。
いろんな自分になりたい。自分に飽きたくない。そんなことを願っても、キャパシティのない私には、無理が起こって当然だった。
どんな自分にもなれる自分にわくわくしたかった、そしてそうはなれない現実にがっかりしたくなかった。のかもしれない。
そうやってどたばた生きてきたが、今年は、好きなものに自分が合わせることに決めた。自分は自分。自分を好きになるために。この年始に家でのんびりしていたら、いきなり気持ちが降って湧いてきた。
ここにくるまで35年近くかかってしまった。しかもこれが自分の人生において上手く作用するとも限らない。
ただ、少なくとも、好きなものに囲まれた新しい自分を想像して、わくわくしている。
自宅内でできる、自分探しの旅。私の人生にとっては、悪くないかもしれない。
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