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まもなく歳をとります(34歳の振り返り)

30代になって、いつも書くようにしている1年の振り返り。
1年前はちょうど感染症が拡大してきてオリンピックの1年延期が決まり、緊急事態宣言が発出されるだろうと言われ始めた時期で、人生でこんなに一気に世の中が変わることがなかったからすごく心許ない思いだった。昨年、34歳直前に書いたnoteにもそれは如実に見えている。でも1年経って、いったん大丈夫だよ、まだ生きてるよって伝えたい笑



この1年は、間違いなく自分を整えてくれた1年だったと思う。

コロナで得られたのは、自分を大切にすること。これはもう、私にとって、絶対欠かせない要素になった。


欲張ったことが、実を結び始めた

これまでは、自分のキャパシティを広げていくために、半ば無理やり付き合いを増やしていた。
いろんな人と話しができること、つながることはとても楽しかったし、自分の肥やしになったと思う。自分の狭い狭い視野をぐいっと広げて、正義や常識がたくさんあることを教えてくれたのは、間違いなく周りの方々だ。
だが、自分のことを伝えるのが苦手で相手にわかりやすいメリットがつくれていない感覚に陥り、つながり続けるための努力が常に必要になる気持ちと折り合いをつけるのがどうにもしんどかった。

そうやって無理をして、周りのいろいろに流されては傷つき、人から何を思われるか怖い、人と接するのが怖いと人知れず戦っていた。自分に自信もないから、時間をいただくだけのメリットも提案できない。時間をいただくなんて無理を強いて無駄だろうと思うだけでなく、それにより嫌われるのも怖かった。

そんなにも自分に対する信頼がなかったのに、「意外と自分が貢献できることもある、ニーズもあるのかもしれない」と思えたのがこの1年。不思議なものである。

幸か不幸か、私は変化の激しいビジネス環境にいたことが多くて、ビジネスに絶対はないという価値観がある。
世界の常識が覆る中、ビジネスもそれに合わせなければいけないが、そこに強い抵抗はなかった(すぐ変化できるタイプではないが、変化自体は当たり前のものとして捉えているから、少しずつでも自分の仕事を変化していけた)。

コロナ禍になって、「状況により(優先順位が下がることによって)広報はいらなくなる可能性だってある」という危機感を強く持ち、広報の仕事の枠を超えて自分にできることをやっていった。やったことは以下、2020年の振り返りの中で少し書いた。



広報一筋ではなく、本質への探究心や好奇心から「人事もマーケティングも」と欲張り、経営課題やコミュニケーション課題の解決としてやってきたことも実を結びはじめ、明らかにやれることが増えていると感じた。
これまでは、どれも中途半端だったから大したことないように見える実力しかなかったけど、それらが一定以上できているよねという目で見ていただけるようになり、ようやく掛け算ができるところまで持って来れて、自分のことが少しずつ認められるようになってきた。


ニーズ変化と成功体験と自己理解と

コロナで世の中の広報ニーズが変化したこと、そしてやっと私の実力がついてきたこと。2018年ごろから小さく小さく発信してきたことで、理解できる方には理解していただける実感を持ててきた(あの時はじめていて本当によかった)。自分が生きられる世界の見つけ方が少しだけわかった気がする。

多分、ちょうどいろいろなものが重なったのだろう。熱量の高い方と繋がり、自分のスキルで貢献することができた成功体験もあると思う。

あとは、人付き合いに対する自分のスタンスを確認したことも大きい。一対一コミュニケーションは漏れなくストレスがかかりやすい、世界観の合わない人は自分に強い負荷をかける。など。
小心者の自分にとって、世の中とのつながりをつくるのにありがたかったのは、SNSだった。今はこれまでで1番ニュートラルに向き合えているし、無理がない投稿ができている。

ただ、SNSはどうしても表面しか見えない。それは相手が私に対して見ることもそうだし、相手に対して私が見るのもそう。
発信量、情報量が少ないことで自分の見せ方も損をしていたし、相手のことを誤解していたなと感じる機会があった。

潰れた気持ちを我慢してまで社交的にはなれないけど、一人ひとり、機会をもらって話すのは大丈夫とわかってきたから、今は少しずつ一対一のコミュニケーションにもチャレンジしている。
過去のつながりがめぐりめぐって再度つながることも増えて、当時とは違う気持ちでその方と向き合えているし、当時の下向きな印象と違うように見せられているのでは、とも思う。自分も相手も変わっていくのが当たり前だと思うので、時を経て再度関わらせていただけるのはとてもありがたい。そんな感じで、少しずつ人間関係をリハビリしている。


毎日「なりたい自分」になる楽しみ

この1年、世の中の変化に従って価値観にも変化が及ぶ中で、気持ちの変化が激しく、どうにも取りこぼしたくなかったいくつかについては書き留めた。




これまでになく自分に向き合う時間ができて、心の声を聞きながら、その時なりたい自分に近づくよう毎日着飾るってことがこんなにも楽しいんだ、と思えるようになった。

SNSなどを見て気になった色の服やコスメを組み合わせて試したり、気分に合う色をまとったりするのが楽しくて。
在宅勤務でコンタクトレンズも使わなくなったので、メガネを集めて気分で掛け替えるようになった。自分のメガネの顔が好きじゃなくて、以前はありえないと思っていたけど、毎日かけて顔も見慣れると、こんなもんかと感じるように。(大学生の時に友達の影響でメガネを買い集めたいブームが来たが、当時は不発に終わったので、約10年越しに達成)

ちなみに、大ぶりピアスも大好きだったけど、ヘッドセットを使っていて耳を覆い被せてしまうし、ものにより耳が重く感じたりピアスが揺れる音がしてしまったりするので、あまりつけなくなってしまった。ピアス穴が塞がらない程度に、たまにつけてるが。
カバンや靴も大好きだったけど、あまりに外出しないから手が出しにくくなった。

コロナ前までは、エンジンの止まった車を無理矢理引っ張っているような日々で、どれだけ(表面的な)自己実現をしたくても、自分に向き合う気持ちの余裕も、それをアウトプットする気力もなかった。
これだけの変化が起こることは今までなかったし、頑張っても頑張ってもできなかったことだから、何故かできていて満足していることに今自分がびっくりしている。

あと、最近1番テンションが上がったのは、コスメを集めてドレッサーを作ったこと。毎日家にいるので、自分の小さな居場所をちまちま作り、整えていくのが楽しい。
(主人からはコックピットと呼ばれている笑。在宅勤務のデスク周りもあれこれ物を揃えていて、主人のデスクよりよっぽどいろいろ置いてある)

雑にまとめると、ご自愛が捗ったというのだろうか。
そういう意味では、「あつまれどうぶつの森」を夏からずっとやっていて、黙々と釣りをしたり化石を掘ったり花に水をやったりすることが、毎日の癒し時間になっている。次に引きずらず、毎日・毎週くらいのペースで自分をリセットできているのは、自分をちゃんと保つためにはすごくよかった気がする。


ちっぽけを認め、自分の正義を貫く

ただし、決して理想の自分になっているわけではない。まだまだ自分のできないところが嫌でも何度でも目について、でも理想だけは高く、苦しいなと思うことも局所的にある。
これまでに比べると、あまり無理してないなーとも思うし、無理してないから成長しているかもちょっと自信がない。年齢も踏まえて老害になっていないかとか、これでいいんだろうかとかいう焦りもある。

昨年感じた「仕事以外の自分の価値とも向き合うのが34歳」という予感は、1年経った今、いまいちよくわからなかった苦笑
(個人的な満足感は増したけど、自分の価値が上がったかどうかは謎…)

自分が素敵と思った人に、素敵と思われたい。
自分がいいと思った気持ちを、わかってくれる人に広げる手伝いをしたい。
そして自分が選んだ正義に対しては、自分が1番の味方でいたい。

でも、ぶっちゃけ全部を総取りするのは無理だから、自分はちっぽけであることを心の底から認めて優先順位をつけ、私の人生のサイズの中で、しあわせとやりがいを見つける。
老け込んだ感じになってしまったが笑、35歳は、なんだかそんな歳になったらなあと思う。(理想が高いことで苦しみやすいので、総取りしなくとも満足感を持ち、かつ自分を保つのは結構切実な願いでもある)

引き続きのおうち時間で自分との対話はできそうなので、自分の中でのバランスをこの1年で取れるようになりたいなあと。
仕事では、自分が共感できる熱量を持った仕事に携わる機会を増やしたい!

このめまぐるしい1年、頑張ったことでいろいろ見えてくるものがあったので、次の1年もめまぐるしそうだから同じくらい進化していきたいなと思う。
30代も後半戦、ますますがんばりますので引き続きよろしくお願いいたします!

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