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晴れた後も忘れたくない気持ち(西日本豪雨の覚書)

先週末、西日本でひどい災害が起こった。いわゆる西日本豪雨のことだ。
私の実家は広島である。確かに、7/6の金曜日は、実家の場所に設定している災害情報(大雨)の通知が頻繁に来ていた。でもその時は仕事中だったのもあり、その通知の多さに疑問は感じていなかった。「鳴りっぱなし」と言える頻度だったにもかかわらず、だ。

事態の大きさに気づいたのは一晩明けた7/7、土曜日の朝。大きな被害を受けた知人のソーシャルメディア投稿で、実家は大丈夫だったかと青ざめた。場所が山の方ではないことで油断していた。

まさか、こんなにひどい豪雨とは思わなかった。

幸い、実家に大きな被害はなし。しかし、弟が住んでいる地域は河川増水から浄水装置が壊れ、広範囲で断水被害を受けている。しかも、1週間以上は復旧しないとされており、もしかしたらさらにかかるかもしれないと言われている。

それでもまだ、私はいい方だ。もはやいい方も何もないのだが。
先の知人はじめ、被害のひどい地域に住んでいる知人の話を知っている。具体的な被害地域の地名を聞くたび、報道を見るたびに、いままで出会った友人知人の名前を思い出す。大丈夫なのか、心配だ。

今日も、広島駅からもすぐ近くの、榎川という小さい川が氾濫した。こんなに晴れているにもかかわらず。土砂や流木が橋に引っかかって水が溢れたとのこと。二次災害というには、不意打ちすぎやしないか。


7/10、本日の中国新聞には、この図が載っていたそうだ。「1年程度」「しばらくの間」「相当の期間」の差が、まったくわからない。被害地域までいっつも乗っていたわけではないけど、知っている駅名の並んでいるエリアの被害に言葉がない。振替輸送が新幹線だなんて、聞いたことがない。

馴染みがあって、都会にないのどかさがあって、「なんで新幹線30分の距離に鈍行で3倍かかるの」と文句言いながらも好きだった地元の交通が大きな被害を受け、極端かもしれないが、アイデンティティがひどく傷ついた気持ちである。

被害に寄り添うこと、普通をありがたく思うこと

弟には、ソーシャルメディアで聞いた給水情報や有益情報を送るようにしている。本人の予定、細かい地域のことはわからないので、とりあえず確からしそうな情報はガンガン送りつけている。
本当は物品を送りたい気持ちだが、個人の物品送付は物流や交通の邪魔になると思い留まった。

情報は一目でわかるように極力キャプチャ。情報が都度更新されるサイトだけはURLを送る。もともと送った情報に変化があった時は変更点のコメントをつけて。
LINEの既読をつけてもらうことで安否確認して、時々だけ返事をもらう。父母への様子連絡も代行して、本人の負担を減らすようにしている。

遠くに住んでいるのに、情報シェアで役に立てているだけ、逆にありがたい。私は、弟と一緒に断水を頑張って乗り越えている、つもりだ。

東京は、普通だ。お風呂もトイレもあって、ごはんも選び放題。ソーシャルメディアのTLもいつも通り。その状況をフラットに感じる一方で、周りにある「普通」になじみきれていない自分もいる。
それぞれの生活と見え方があるので、被害も少なく済んだ自分が声高に言うのも違うと思っている。ただ、身をもって感じるのは、どれだけお見舞いを言葉にしても、やっぱり身近でないと、被災した人に真に寄り添うことはなかなか難しいはずということ。だって、私自身もそうだから。

ここ2日間、とてもそわそわしていた。私の身に何もなくとも、弟のために情報収集しながら状況を想像し、弟が断水の中で生活に苦労していることを想像するだけでなんとも苦しい気持ちになる。
私は普段から欲張りで、理想を高く持ちすぎる癖があるが、今ばかりは、理想と現実の間で苦しい気持ちになりやすいことを忘れられている。普通の生活が送れていることだけでとても幸せなのだ。それなのに、こんなことがないと私は理想への諦めがつかないようだ。とても情けない。

そんな今週末には、半年前に決めていた帰省が待っている。すごいタイミングだが、だからこそとてもありがたい機会だ。顔を合わせ、無事を確認し合えるのだから。
豪雨真っ最中の時にやれなかった親孝行をしてきたいし、可能だったら広島の友達に対してもやれることをしてきたい。

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