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まもなく歳をとります(33歳の振り返り)

今年のスタートに今年の目標を書きそびれ、そのまま新型コロナウイルスの感染拡大によって平常の気持ちを失い、今に至る。
今は生きているだけで丸儲けな気分だ。歳をとるのも悲しいけれど、社会情勢を見ても、自分自身は多少の制限だけで生きられているから文句はない。

インターネットの仕事で、他の業界よりはまだ影響が少ない方なのも、贅沢なのだろうと思う。日常に恐怖や多少の不都合はあるが、在宅でのリモート勤務も認められていて、リスクは減らせている方である。
粛々生きて、その中での社会貢献ができたらと思うくらいで、今はあまり大きな目標は考えられていない。

年明けに書いていたものをそのまま流用しつつ、今の気持ちを書く。


まとわりついている足枷を外せた

昨年は、生まれて30数年ずっとまとわりついていた足枷を取り外すような1年であった。年明けは足がとても軽く、ちょっと大きく勢いよく足を広げるだけで、どこかにふわっと飛んで行けそうな気もしていた。

足枷がなくなったのは、経営課題に対し、広報や人事で提供できるソリューションがさらに増えたという手応えが感じられたからである。

社内のいろいろなところで頼ってもらったり、初心者の部下がついたりなど他者への説明の機会も増え、広報の月1noteも続けた結果、言語化も多少できてきた。

それらをやりながら、今の自分に足りないのは、これらについて人や社会に提示していくことではないか、と気づく1年でもあった。

私は人付き合いがそこまで得意でない。ので、これまではわざと、提示を避けてきたふしがある。誰かに見つけて欲しいという甘えた気持ちが少しあったが、皆そんなに暇ではないことも思い知った。

それだけでなく、人間はエモーショナルなものだから、正論を掲げてもだめで、論は穴ぼこでもエモーショナルなものに惹かれるんだろう、と思う場面もたくさん目撃した。

なので、私も次のステップに進んでいくために、2020年は自分から「関わりに行く」年にしたいと思った。1月にはイベントも小さく計画したいと思っていたし、実際人に宣言したり少し準備したりしていた。

…1月までは順調だった。


仕事人である以前に、自分だった

からの、新型コロナウイルスである。対面でのイベント自粛がなされ、もともとの出不精から、これからの生活がどうなるのかわからない不安感、そもそも知識提供するにしても何をやっていいか勝手がわからない感もあいまって、「広報や人事で私ができることをやりたい、貢献したい」と思う火が限りなく小さく小さくなってしまった。

身の安全が確保された上での広報の探究だと思っているから、心の中に新型コロナウイルスが大きく占めている今は、安心できないしパフォーマンスがフルスロットルにはなれない。生きていくために今は踏ん張り時、とはいえこんなに気持ちが流されて苦しくて無力なことはない。
twitterを見ていてもやはり私のアカウントへの期待は「広報」で、コロナにやられる弱い私自身ではないのだなとも日々思わされている。


でもこの状況は悪いことだけではなかった。仕事以外での自分の在り方と向き合うきっかけになったのだ。
仕事人である以前に、自分であった。今までは、仕事やその他、何故かコントロールできないものに振り回されて、さらには不安感から仕事の成果ばかりを見つめてがむしゃらに走ってきた。「仕事人である以前に自分」そんな当たり前のことなのに、認める余裕なんてまったくなかった。

今、継続的に会社でやらせてもらっている在宅勤務がひとつのきっかけだった。在宅勤務は良くも悪くも「日常」から抜け出せない働き方である。仕事はちゃんとするけれども、目の前の風景は変わらないし、片付けが終わらないまま仕事を始めても、ふとした瞬間にそこを見ていらいらしてしまう。
いつもより家にいることで、家のひとつひとつで気分は左右されるし、居心地は日々の暮らしを決めるし、日々の暮らしの中に仕事ってあるんだなと思い知った。


存在を磨き、回り回って仕事に活かす

在宅勤務の結果、通勤時間がなくなって時間と気分に余裕が生まれ、毎日気分に合った格好をしたくなった。ずっと家に居るからか、部屋を保つための行動も明らかに増えた。
これまで何度もそういう生活をやろうとしていて、日々余裕なくやりきれなくて納得しきれなかったことが、奇しくも在宅勤務で少し叶ったように思う。

(ちなみに、格好に関しては気分に合うかどうかが大事なので、在宅勤務で人に会わなくてもいい。これでいいのだ)

それはもはや、自分という存在を磨く行動だった。仕事とは明らかに違う、今までにないやり方で。

自分の存在と向き合ったことで、この後、広い意味での自分の価値とも向き合うことになるだろう。明らかに自分が豊かになる感覚があり、きっと仕事にも活きる気がする。ここまで駆け抜けてきた自分へのご褒美なのかもしれない。

仕事以外の自分の価値とも向き合うのが34歳なのかなあと思い描いている。
いい歳になってきたし、そんなのとっくにみんな辿り着いているのかもしれないし、へろへろになった挙句やっとそう思えている自分が少し恥ずかしいけど。

広報・人事としての自分の価値提供も、この際ゆっくり、少しずつ模索したい。どうせ一般受けはしない、でもきっと困っていて欲しい人は必ず居るはずのソリューションなのだから、もう少し温めながら少しずつ、価値提供の方法を考えてもいいのかもと思えている。


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34歳はあんまり欲張らず、自分らしさを追求する歳にしたいなと。まずはいろんな意味で生き抜きたい。。
34歳の私も、どうぞよろしくお願いいたします!

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