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まもなく歳をとります(37歳の振り返り)

1週間が早いし、1ヶ月が早いし、慌ただしく生きているだけなのにもう歳をとるみたいな話になっていて信じられない。。

昨年は「余裕がない」とか言う気力すらなかったけど、今年は「余裕がない」と言う気力くらいはちょっとだけある。多分。ほんのちょっとだけましなのかな。

この1年ちょっと、しんどいながら現実を見て耐えて、地道にやれることをやってきた。そのおかげで見えたものがあるし、「これまでそれなりにちゃんとやってきたと言ってもいいかな」という自覚を感じられる1年だった。


36歳の振り返りは以下


2023年末(3ヶ月前)の振り返りは以下


現職10年になる目前のタイミングの今、新しく始めたこと

仕事では2つほど、明らかに昨年とは違うチャレンジを始めた。

2023年年末の振り返りでは明確に触れていないけど、現在は広報2度目のチーム化にトライ中。これは2023年後半から取り組み始めている。
前回のチーム化(2019年)で一緒に働いたメンバーとは、タイプも経歴も強みも違うメンバーと働くことになった。

そのメンバーは異業種転職で、ITスキルも想定ほどなかったので、業界用語や業界特有のビジネス常識、ツール習得、広報への認識に至るまで最初はズレをなくすのがかなり大変で。暗黙知を大量に言語化して整理したし、コミュニケーションを相当たくさんとっている。
本人もだいぶ大変だったと思うが、参画から半年経ちようやく頼める仕事の目安がわかりやすくなってきて、かつ切り出しにあたっての見積もりもだいぶしやすくなった。できるできないはあるものの、本人がやる気を持って努力しトライしている気概は贔屓目なしにすごいなと思っているし、そのことが社内でも伝わっていて、他メンバーからも目をかけてもらって新しい仕事のチャンスを掴んでいるのも嬉しい。

遠方メンバーとのリモート体制のチーム化2度目ということで、前回やりきれなかった(やらなかったことで失敗を加速させてしまった)リモートチームならではの工夫も行っている。

そしてもうひとつ。つい最近から、各位のご協力を得て、他社の仕事を請け始めた。(現職の勤務を続けながら新しい仕事もやっている)
現職に9年半いるので、自分ってちゃんと「使える」キャリアを積めているのかなあと心配になって、でもその割に向き合う行動までできていなかったのだが、ちょうど話が出てきたのでのっかってみることに。

メールなどのセットアップ直後に見る「何も入っていない」状態、自分の知らない「別ルールを1から大量に学ぶ」状態はまさに久し振りすぎた。9年半前の現職入社の時に何を感じたかの記憶はもちろんない。新しい人間関係に飛び込むことも最近はなかったので、かなり緊張した。

現時点ではまだ始めたばかりなのでなんとも言えないが、ようやっと仕事のペースは掴んできたと言えるかな…という感じ。

現職では中小企業であることや、ひとり広報の立ち上げだったことでどうしてもリソース(時間やお金の優先順位)都合があり、手法論を極めることや丁寧なことはできなかった。
新しい仕事では他の広報パーソンと関わる機会があり、私がやってきたこと以外をされていたり得意としていたりする方がいる。なので、私がやれていなかった・知らなかった広報手法論などを改めて学ぶ機会になればいいなと思っているところ。10数年独自ながらに広報の経験を積み、「経営と、その中の広報」という全体像と意義を何となく掴んだ今、手法論を知ることに意味があるような気がしている。

そして、「新しいこと」と言うにはタイミングが微妙だが、2023年年始から自社オウンドメディアの編集長を名乗り始めたのでそのことにも触れたい。

1年と少し、コンテンツマーケティングについても取り組んでいる。
以前よりもオウンドメディアにおいてテーマや表現に関する決裁権をいただき、自分が感じることをなるべく編集に入れ込んでいる。取引先への取材もさせていただき、オンライン取材のほか、遠隔地の取材(出張)も経験した。

そもそも「自社にとってのオウンドメディア」をどう考えるかが手探りな側面が強く、自社マーケティングもコンテンツマーケティングも運営手法も試行錯誤の繰り返し。
やりながらの把握で1年が終わってしまったふしはあるが、以前よりは掴めてきていることでより効果などを狙った動きなどが考えられるようになってきていると思っている。来年にはもう少し体系立てて語れれば。


「自分らしさ」の実行フェーズへ

プライベートは、思考のアップデートが捗っていたここ数年を経て、「いかに行動するか」のフェーズに入った気がする。「アップデートしたものを自分に落とし込む(行動する)ためのハードルについて考える」のが最近のテーマかも。

好きなこと、嫌いなことがはっきりしてきて、好きなことをいかにやるか、嫌いなことをいかに楽しくやるか(さりげなく避けるか)、などの小さな調整を繰り返している。
もちろん、ただただ自分に都合のいいことばかりをやるのはスキルも上がらないし自分の将来性を潰して老害になりかねないから、負荷は一定かけ続けるようにしている。
実行フェーズになったとはいえ、まだうまくいってないので、ここは今、私にとっての負荷になってるかな、、

最近楽しいのは、毎日身につけるものを前日とかに選ぶこと。(とはいっても、徹底的にはやれてない。手を抜きながら)
気分屋で気まぐれなので、「こういう格好がしたい」「こういうものを纏いたい」などの趣味はころころ変わるが、そんな自分の気持ちを掴まえてうまくはまって身支度できた時の満足感が最近心地よくなっている。

あとは、外出があまり得意ではないけど(在宅勤務なので平日までほとんど外に出ない生活をまだしている)コロナ禍もあけてちょっとずつ外に出てみるようにしている。
新しい場所や店を開拓していくのが楽しいのでこれも継続したいな。


自分の美学を自分の中で育てて貫く

こんな歳になっても未だ、自分かどうなりたいまでは見えてないのは良くないのかもしれない。でも、できることが増えていて、そこそこ潰しが効きそうという自覚が持ててきて、それが自分を安心させていると思う。

あとは「これならゆっくり続けていけそう」という折り合いついた所作や型は各所で見えてきた1年だった。
メインではなくサブ。同質性が高くないところで言語化に徹して間を取り持つ。コミュニケーションにおけるサポート役、メインの人がやりきれないところをやる中継ぎ役。
そんなところが自分の役割かなと思うに至った。

メンタルも、決して上々という感じでもないが、外部環境の変化であまりゆるくやれない状況もあって、折り合いについて同時並行で考えざるを得なかった。でも、その環境変化で、特に仕事において周りと自分の目線があってきたという側面もあったので、その意味では逆にストレスは減少している。
誰にでもとは言えないし、たまたま私の場合はそうだっただけかもしれないが、やっぱりいたわりすぎても特にすぐ治るわけでもないなあとも思った(私の場合では、過去にメンタル落ち込んだ時も、ゆっくり休むだけでは戻らず、行動しながら戻っていくような感じになったことがあるため。ただ、これは誰にでも言える・やった方がいいことだとは思わない)。

気持ちに蓋している事実を数年前に感じ、それを解決できていないなあと昨年自覚したものの、「あれこれ試したけどなんだかんだ結局蓋は開けない」というのも自分で理解することにもなった。
これはある意味の美学であり、それが自分。だったら努力して、自分がなりたい自分になって、蓋を開けない姿勢を貫くしかない。


こんな歳になってもできないことも多くて、それもさらけ出せなくて、あんまり上手く生きられてないなあと実感するばかりですが、これが自分なので突飛な希望を持つことは諦めて、自分なりに自分の人生がよりよくなるように引き続きがんばります。
38歳もどうぞよろしくお願い申し上げます!

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