「正しい歴史」の見分け方?
2022年7月19日 カロク採訪記 磯崎未菜
歴史につく名前
私たちが学校で学んでいる「日本史」科目は、戦前は「國史」という名前だったそう。
「日本史」と「國史」、英語に訳すならThe History of JapanとHistory by Nation。
「國史」の方は旧字体の「國」が使われていてちゃんと前時代的な感じがするけど、実は言葉として得体が知れないのは「日本史」の方かもしれない。と思うのは、一体それをだれが語り、叙述している歴史なのかがよくわからないからか。
その一方で、政府が正統と認め、教育する歴史は「正史」という。重要なのは「正史」が、その時代の政府が取り決めた歴史をそう呼んでいるのであり、決して正しい歴史の略ではない、ということだ。・・・。
はい、もうこの時点でややこしい〜!!🙄
足を踏み入れたくないような気分ですよ。歴史学者でもないのに、いったいどれを信じたらいいんですか?!はぁ・・・😥
ただ、日本「国」民である以上、特にほかの国の人と話す場合、この微妙な名前の違いや、それぞれの立場の違いから生まれる歴史叙述に自覚的でいないと、知らない間に誰かの存在を踏みにじったり、信頼関係をぶち壊してしまうことがある。
この日はそのことをビシビシと感じざるをえない、二つの場所に出かけてきました。
映画『教育と愛国』を観に吉祥寺UPLINKへ
瀬尾さんと中村大地くんと、朝9:30吉祥寺待ち合わせ。
高校の時まで隣の西荻に住んでいたので、久々の地元来訪は懐かしくて恥ずかしいような感じ。めちゃくちゃ暑かったけど、中学校の時初めてジーンズを買ったちゃちな古着屋が閉店セールをしていたり、歩くだけでテンションは上がった。
早朝の集合で、瀬尾さんは夜行性なのでどうかしらと思っていたが、みんな無事上映前にPARCO地下に集合。
観にきた『教育と愛国』は、2017年にMBSで放送された番組『映像‘17 教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか』をもとに、追加取材と再構成をおこない完成した映画だ。
監督は斉加尚代さんで、2019年には書籍化もされている。
平日の朝早くにもかかわらず、席はかなり埋まっていた。
1997年に結成された「新しい歴史教科書をつくる会」や、菅政権内閣時の慰安婦問題と強制連行をめぐる答弁書の閣議決定など、中高の地理歴史、公民の教科書記述に関する問題を、起こったことを時代の流れに沿って整理し、さまざまな立場のひとへの丁寧なインタビューやリサーチを組み上げたとても誠実で明解なドキュメンタリーだった。こういう勉強になるものは、地上波TVでもっとたくさん流れたらいいのに。
教育の現場で、戦争の災禍を繰り返さないよう、日本軍の戦争加害を含んだ歴史を生徒に対して学ばせようと授業の工夫を試みる先生たちに対して、それは自虐史観であり、反日教育だと執拗に訴え嫌がらせをする政治家や教育家の姿が淡々と描かれており、深いため息を何度もつきたくなってしまうような内容だったが、一つ特に重要だと思ったのは、日本が中国にGDPの順位を抜かされた2010年辺りから、そういった考えや思想が強く広がっていったという言及だった。
※22年5月13日には、そのGDP算出にも使われる建設工事受注動態統計で国交省の統計不正があり、年間最大5兆円もの過大計上が発覚。なんてこった。
日本国民としての自信
彼らのスピーチに頻出する“自信”という言葉は、一体何を指すんだろうか。
これからの日本の教育現場の未来を想像していたたまれない気持ちになりながら映画館を出て、愚痴を言いながらお昼を食べて元気を回復(クゥーチャイ 吉祥寺店、安くて美味しかった)。そのあとはせっかくの吉祥寺をちょっと探索してから次の目的地に向かった。
「わが国初期の美術館建築」 聖徳記念絵画館へ
午後に向かったのは、明治神宮外苑にある聖徳記念絵画館。
2011年には、明治神宮宝物館と共に国の重要文化財に指定されている。
中に入ると写真撮影は禁止。
ここでは、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を、天皇の死後に著名な画家たちが描いた80枚の絵画が展示されており、まさに教科書でよく見るような公的な絵とキャプションがズラーッと並んでいてとても面白かった。尊皇攘夷の立場から明治時代を編纂する、一本の絵巻物になっていた。文字ではなく絵だからこそ、ここまで統一した形式でまとめることができたのかもしれない。
国史編纂から史料編纂へ
8世紀から10世紀にかけて、国家として初めて天皇の命で編修された日本の歴史書『日本書紀』(古事記と六国史 - 歴史と物語 - 国立公文書館より)、次いで編修された『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』。それらをあわせた六国史に続く正史を編纂するための「修史の詔」が明治新政府によって出され、久米邦武筆禍事件を経て修史事業が廃止されたのが1893年。以後、組織は帝国大学に移管され(東京大学史料編纂所)、1901年からは日本では正史ではなく史料の編纂である『大日本史料』『大日本古文書』が発行されている。東京大学史料編纂所のHPには、国内外に伝わる膨大な史料を、「歴史に興味を持つすべての方々にお届けしたい」とある。
「野史」をみまくりたい
『教育と愛国』に登場した、歴史学者で「新しい歴史教科書をつくる会」の一員でもあった伊藤隆氏は、「歴史に学ばなくていいです」「歴史から何を学ぶんですか?」と言い切っていた。歴史学者として俄には信じがたい発言だが、彼のいう歴史が、「正史」のことのみであるならば?発言を理解することはできる。ただし、歴史とはもちろん「正史」だけではない。
「正史」の対義語は、民間で編まれた史書という意味である「野史」。「野史」は、私たちがこのプロジェクトで追いかけている「禍録」とも深い繋がりがあるだろう。
市民の人々によっておこなわれた記録活動やその成果物。文字だけではない。絵や版画や、日記や、声や、劇や踊り。それらはそれぞれの立場で、災禍や困難の経験を通じて、未来を思い、「なんとか残したいんだ」という願いによって編まれたもの。スケールは小さいかも知れないが、その分詳細で、個人的で、そういった記録には、次の世代の人に手渡してゆけるような生活のすべが詰まっているし、遠い他者を強く想像することは、ひいては自分の生きる現在の社会を考えることになる。
私はNOOKのチームで、それらをできるだけ見てみたいと思う。大きな歴史の史料としては公共性がなく、掬われないような小さなものでも、見て、見て、見まくったら、もしかして、大きな流れとしての時代が少しずつ姿を現すんじゃなかろうか。
そこから学べることがごまんとあって、それらが私たちの暮らしを、他者への信頼を、死者や自然への未来に向かった想像を、豊かに多様にしてくれるということに気付けている分だけ、あのおじいさん学者よりも幸いだなと思った。
磯崎未菜(アーティスト)
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