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女性限定パーティに行ってきたわけだよ

いま池尻大橋から田園都市線乗ってる途中。

去年末しょぼくれた顔で「もう面白いことしかしたくないんです…」と言ったら本当に面白いことばっかり教えてくださる神様みたいな人がいて、その神様みたいな人が「興味ありませんか」と繋いでくださったご縁。1/18「第2回しーれいパーティ」にお邪魔してきた。

参加資格は「女性であること」。ざっくり言えば女性同士の出会い系イベント(だと思う)。

なんかどうもこういう場で「カップル撮りたいです」って言うと「女性同士がイチャついてる画が好き」って思われるんだけど違うのよ。本物のカップルが好きなのよ。

だから今日撮った写真に未来のカップルが写ってたら最高だなとか思って。結婚式のスライドで是非使って欲しい。

イベントは2人1組でトランプしたり王様ゲームしたり、女子会と合コンを足して2で割った感じだった。(いきなりババ引いた)

えーと、性別って血液型とか指の本数とかと同じで「生まれ持った特徴」なわけで、うーん、それ以上でもそれ以下でもと思うんだけどやっぱり大事なことに変わりはなくて。それとは別で「性的指向」があって、うーん?「B型は無理」は言いやすいけど「異性は無理」はわりと言いにくいよねって話(どっちもまあまあ失礼だけども笑)そうそうそんな感じ。それでまあ、異性を好きになる人より同性を好きになる人の方が少ないから「マイノリティ」って呼ばれるよねという話。それだけ。それだけなんだけど、マイノリティがいるならマジョリティもいるわけだよ。それでこの社会の中で、ある部分から見れば自分はマイノリティで、ある部分から見ればマジョリティなわけで、どう足掻いたって社会の一員なわけで、
それでその社会の中で、えーと宮沢賢治が言うには「じぶんとひとと万象」の中で、誰かと幸せになろうとしたり誰かと幸せになっているなら、それがものすごく尊いものに思えるんです私は。

1人で幸せになった方が簡単なのに、わざわざ誰かと一緒にいようと選択して、行動に移すわけだよ。それで、考えも行動も姿形も人によっては血液型も性別も指の本数も国籍も年齢も違う人と一緒に幸せになろうとするのよ。めっちゃ難しいじゃん。今の私には出来ない、そんな余裕がない。だからそんなに難しいことをしようとしている人たちは、ものすごく尊い。

そんな尊い行動をたくさんの人がしている世の中ってちょっとすごくない?

それで自分はカメラマンなので、そういう幸せな人たちの中で万が一「写真撮りたいけど普通の写真スタジオに頼みにくい」って人たちがいるとしたらそれが一番嫌なので、その理由が例えば「同性同士」とか「何かしらの理由で家から出られない」とか「身体が大きすぎて服がない」とか「シングルマザーだから」とか「年齢差」とか「高齢」とかそういう理由なら私が撮りたいと思う。
例に挙げたような人たちが万が一いたとして、あ、この人なら撮ってって言えるなと思ってもらえるように、前例を作るために、色々な形の家族や恋人や親子やそういう人たちを撮り続けたいなと。思いました。まる。

20200120岡野はるか


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