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もう開かれることのない読みかけの本ほど切ない物は無い

半年間の闘病の末、母が亡くなった。
これからの人生で起こる全ての事が、母を置いて進んでいくのだと思うと、何だか不思議な気持ちになる。

亡くなる直前までのん気にお風呂にはいっていた私は死目に会えず、父に呼ばれ慌てて上がった時にはぴくりとも動かなくなっていた。
それほどに、安らかに、あっという間に。母は逝ってしまった。

「もう今帰らなければ、二度と帰れない気がするの」
とまだこんなに具合が悪くなる前、病院のベッドで母が言っていた。
病気の数値も下がり続けていて、抗癌剤が効き始め、いざリハビリをはじめた頃だったから「もっとちゃんと治ってから帰ってくればいいのにねえ」と父とため息をついていた。

半ば強引に退院してきた母は、日に日に見る見る窶れていき、最後は言葉を交わすこともできないほどに衰弱し、たった1週間で逝ってしまった。

なんて人の命はあっけないのだろう。

机の上には、2ヶ月前から母が読んでいた小説が、二度と再び開かれることなくポツンと置かれていて、もう二度と目を開かない母よりも、何だかとても現実味をおびている気がする。

なのに、不思議と掌にはリアルがない。
今にも母が「ただいま」と玄関を開けて入ってきそうだ、なんて脳が言う。
私の右側には、冷たくなりもう動かない母が横たわっているのに、だ。

普通に仕事をする。
その合間に葬儀の打ち合わせをする。
SNSを更新する。
お悔やみ申し上げます、と母のスマホに友人達から連絡が入る。
そんな、今現実と非現実の間に立っている。

母が亡くなったら、虚無感で、何も手がつかず泣いてばかりの日々になると思っていた。そんな分かりやすい絶望にすら手を伸ばせないほどに、今わたしは、多分母の死を実感できずにいるんだなあ。

それでもこれは現実で、母のいない毎日はゆっくりと、始まっている。
葬儀は、3日後らしい。

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