見出し画像

「何でもない文字を綴る」は人生の余白を愛するためのおまじない

自分の心の健康をはかる方法が何個かある。

ひとつめは、聞いたことのないあたらしい音楽を手にとること
ふたつめは、外をぼーっと見つめる時間を持てること
みっつめは、何でもない文字を綴ること

この3つのどれかひとつでも出来ていれば、わたしの心は生きている。
全部できていればすこぶる健康。
ひとつも出来なくなったら赤信号。

「心が健康」と言ってしまうと=病気のように捉えられてしまうかもしれないけれど、決してそういう重大な状態を指しているわけではなくって、
自分が心地よくこの世界で呼吸をできている、という自覚を持てる状態を、「心が健康」な状態なのだと思っている。

画像1

子供の頃ってそんなごちゃごちゃしたことを考えなくても、いつでも世界はきらきらしていて、不思議と好奇心に満ちていて、どこまでもどこまでも時間が続いているような気持ちになった。

やりたい!と思ったことには片っ端から手を出して、嫌だなと思ったら手放して。そこに優先順位なんてものは当然だけれどなかった。

それが大人になるとどうしてもなんでもかんでも「意味のあること」の方を優先して生きるようになる。(それは生きていく上で必要!)
でもそればかりだと、なんだか毎日は擦り切れていく。気がする。

だからこそ、常に心に「もしもし、調子どうですか?」
と声をかけることを忘れたくない。

その声かけへの返事がわたしにとって上であげたような3つなのだ。

斜光

今日すごくすごく久々に、なんでもない言葉を書きたくなって、お昼前のこの時間を使って綴っている。

ああでも、ちょっと「誰かに届けたい」という欲はまだ入っているから、45点くらいかな。

もっともっとくだらない言葉を、わたしのために綴っているようなnoteを見かけたら「お、調子いいんだな」とにんまりしてやってください。

何でもないことを大切にできる、人生の余白を愛する人でいたい。

今日も良い日になりますように。

いつもありがとうございます。いただいたサポートの一部は書く力の原動力のおやつ代、一部は日本自然保護協会に寄付させていただいています。