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きっと今できる精一杯は絶望と仲良くなることなんじゃないか

わたしは主にTwitter・note・instagramの3つのSNSを使っていて、母の闘病生活については主にnoteで記録している。それぞれで役割を変えているからあまり普段互いのSNSを横断することは少なめ。(たまにある)


だからきっと、Twitterの発信を見ていてふらりnoteに遊びにきてくれた人が、一つ前のこんなnoteを読んでしまったらぎょっとするだろう。

だってこの次の日のわたしは、のんきに朝からパンケーキを焼いているのだ。しかもこだわりの全粒粉で。


美味しかった九州パンケーキ。もっちもちで。冷凍の苺もジャムみたいでその上からとろりかけた黒蜜とマッチして幸せな朝だった。
わたしはキャスターの上にささっとセットを組み、シャッターを切る。

ぽちぽちとtwitterに投稿しているこのすぐ横では母が苦しそうに呼吸しているのだ。
「普通そんなことできない」
「ありえない」
と思われるだろうか。


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病院で母が望んだのは「家に帰りたい」だった。
病院にいるよりももっと苦しい最期になるかもしれない。
家族にも本人にも多大な負担がかかるかもしれない。
最悪余命がもっと縮まってしまうかもしれない。

それでも母が望んだのは、いつもの日常の空気が流れる空間に帰ることだった。
だからこそ、私も特別気を使わず「いつもの家」を作ることに専念したい。
(この考え方自体がすでに気を使っているのだけれど。そこはおおめに見てほしい)
パソコンでアニメを観て、気が向いたら写真を撮って、のんびりTVをみながら「この芸人最近よく出るねえ」なんて言いながらお菓子を頬張るいつもの私でいたい。


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絶望していたって笑っていたって、平等に朝はやってくるし、夜もやってくる。できることは精一杯しながら、でも、絶望の闇に飲まれてはいけない。
わたしが今できることは絶望たちと少しでも仲良くなることだ。きっとね。

もし明日母が亡くなるとしても、わたしは朝、手抜きでちょっと不格好なパンケーキを焼きたいよ。

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