マガジンのカバー画像

今日のなんでもない日記

230
放っておいたら、しゃぼん玉のようにいつか頭から消えてしまいそうな、だけれどどこかに残しておきたいような、ふとした日常のひとりごと。昔のmixiのような、とりとめのない文章を認める…
運営しているクリエイター

#言葉と写真

ずっと書けなかった自分史、再開しました

「ねえねえのちさん、更新ってまだですか?」 ちょっとニヤニヤしながら、冗談まじりに聞いてくれる知り合い達にめっちゃごめんなさい、明日は必ず!だなんて、顔の前で手を合わせ、わざと守れない約束を結び付けては破り続ける日々から、1年が経ちました。 「書けなかった」なんておこがましい、「投げ出して」と「書かなかった」が正しい訳なのだけど更新を再開しました。80人近くが購読してくださっていて、この申し訳なさったらない。本当にごめんなさい。本当に。これから真面目に執筆していきます。

好きと食べるはサボらない

波照間島から東京に帰ってきました。さむい。秋めいてる。 2日目の今日はあまり思わないのだけれど、昨日は東京に降り立った時「街がきらめいてる...!」と、こんな感情になったことがなかったのでものすごくびっくりした。 さむいのは苦手だけれど、秋冬服の女性も男性も好きです。今年は誰にも気を使わない、好み全開のファッションと髪型でいたいな。大好きな菊池亜希子ちゃんみたいな。 この前宿でふはーってぼーっとしてたら、お客さんとどんなに忙しくてもサボりたくないものの話になったから、今日は

喉越しの良いなめらかな言葉ってなんだろう

(タイトルは大逸れてるけど普通の日記だよ。騙されないで!) 最近、Twitterのアカウントをもうひとつはじめました。 本家はこっち。 サブアカウントは「言葉と写真」だけが純粋に流れてくるTwitterを作りたくてはじめました。といっても特に絶対これ!という企みはなく、ひたすらに喉越しの良い言葉だったり情景が思い浮かぶような言葉を短い文章でつくる実験をしたい、と思ってつくったものです。 いわば実験室。 なるべく短時間で毎日作って出す、をやろうと思っています。 #まいに

わたしは誰かに叱られたい

今年でいつの間にか30歳になる。 「書く」を仕事にしはじめて、気づけば3年近くが経っていたし、コツコツ続けてきたSNSも今では驚く事に9000人もの方が見てくれるようになった。 noteも #まいにち日記部 で日記を書くようになって、月間5万人が見てくれているらしい(びっくり。noteの拡散力はすごい。) ライティングの仕事も、前は取材やキュレーションが多かったけれど、今はコラムやエッセイなど、自分の心の内を書かせていただく機会が多くなった。(あまり公表していないけれ

柔らかい言葉は誰かへのラブレターで出来ている

毎日一通かならずラブレターを書いている。 宛先は最初からは決まっておらず、その都度出す相手を決めている。 でも大抵はその時、心の半径1メートル以内にいてくれる誰かに宛てることが多い。 宛名は、書かない。 大切なのは「やりたい」ではなく「できる」と自分で決断すること。どうやってやるかなんてその後から考えればいい。その瞬間から夢は夢でなくちゃんと触ることができる現実になるから。 だって大変だから。新しいジャンプは怖いから。描く夢が大きければ大きいほどに、私たちの頭や心は「不

格好なんかつけなくて良いんだって。誰も見てやしないから。

と、雑なことを思い始めてから文章を書くのが楽しくなりました。 前は本当に全然書けなくて。言葉を紡ぐのに1週間かかるのもザラでした。もちろん、たくさん考えて考えて考えて紡いだ文章は美しいけれど。 たった1度の幻のホームランを狙うより、とにかく小さな当たりをたくさん狙いたい。そんな気持ちな今です。 結局、全然テンポよく書けなかったときの原因って、必要以上に格好つけようとしていたからなんですよね。 そんな顔の見えない誰かを気にして格好なんかつけなくって良いの。誰も気にしてるほ

習慣になってしまった事を辞めるには断固たる意思がないと

自分史の更新をはじめたので、こうしてまいにちの日記を綴るのをやめようと思っていたのだけれど。習慣化って怖いもので、タバコやコーヒーと一緒で、ないととっても気持ち悪い。心地悪い。と感じるようになってしまいました。ということでこの「まいにち日記を書く」も知らないうちに中毒性を持ってわたしの生活に溶けこんでしまっていたらしく、こうして今日もカタカタをやってます。続けられるところまで書こうか。 今日は勝手にオフと決めつけて(やることはいっぱいあるのにね。ごめんね。)1日のんびりして

何気ない日々を綴って45日目 #まいにち日記部

「何気ないまいにちを残そう」と決めてはじめた #まいにち日記部。その名の通り日記をまいにち更新するだけの、とてもシンプルなもの。 わたしが主催させていただいているオンラインコミュニティ .colony の部活のひとつとしてはじめました。 1年後、3年後、10年後。ふと開けたときに「あの日こんなことしてたのか」とか「思ってたのか」とか、そんな場所になれるように。 ”誰か” の目線を気にしないで、とにかく自分のために綴る。未来への自分のお手紙のような存在になればいいなあ、と思

来世は鳥か雲に生まれたい

普段は見上げるものなのに。この瞬間は、こうして対等な目線で、視線を交わすことができるのだなあ。 触れたらふわり、たちまちしゅわしゅわと崩れて、舌の上にじんわり幸せな甘さを残してくれそうな、そんな綿菓子のような雲が、分厚いガラス越しにこちらを見つめている。 青から緑へ、緑からオレンジへ。その下のほうは、灰色なのか群青色なのか。なんと表現して良いのかわからない色へとグラデーションした空は、ピンクグレープフルーツのように、まんまるで、真っ赤に輝く太陽をそっと、文句も言わずに支えて

この秋にしたいことをひたすらに、欲張りに

(共通テーマ:この秋にしたいこと) いつもの日記よりもすこしハードルを上げてみたら、ことごとく眠気に負けてしまい、こんな時間になってしまいました。やはり、まいにち日記を書き続けるには、ゆるさが必須なのだなあ。 私が主催させてもらっているときめきのコミュニティ.colonyの部活メンバーで、「この秋にしたいこと」を共通テーマに、今回は日記を書いています。 20代最後の秋。世間一般的な「紅葉を見る」とか「本を片っ端から読んでみる」みたいな、秋らしいことをしてみようかな...

手作りクッキーのような1枚を

何かに向かってシャッターを切り始めてから、早8年が経過しました。 今まで撮ったいろんな写真を見返しながら「わたしはどんな写真が撮りたいのだろうなあ」って考えていて。 そしたら、なんとなく言語化できたので、お気に入りの写真とともに、残しておきたいとおもいます。 あ!っと驚かせるような、派手なホールケーキじゃなくて。 わっと元気が流れ込んでくるような、カラフルなマカロンでもなくて。 口にいれた途端、形をほろほろって崩しながら、優しい気持ちにしてくれる。手作りのクッキー

やわらかさのお供に擬音を少々

今日は読谷村のスタバで作業しようと思い、意気揚々と出発したはずだったのに。太陽燦々の道を歩きながら、小学校から流れてくる三線の音と、スカートにくっつくひっつき虫と戯れていたら、3分で迷子になりました。 700m先のスタバにたどり着くのに30分くらいかかってしまって、たどり着いた時には汗だっくだくになっていて。でもまあ、旅なんて迷子になってなんぼだと思っているので、総合すると楽しかったのです。 今日はなんだかちょっとお疲れモード。声のトーンも少し低め。多分だけど、この1週間ず

自分の習慣が繋がって伝染してゆく、ほろほろと

沖縄滞在もあっという間に1週間が駆け抜けてゆきました。那覇を離れて、きょうから読谷村という地域にいます。那覇よりも自然との距離が近くて、とっても静かな場所。滞在先のホステルはシーズンオフなので、唯一のお客さんの台湾人、マギーと一緒に、しばらくはふたり滞在になりそうです。 すっごい安らかな時間と空気。いつもよりもふんわりした文章を連れてきてくれそうな気がしてます。 今日、すごい嬉しいことがあって。 岡山にいる #旅ときどき仕事 メンバーのやすかちゃんが 「今日岡山の後輩と

人生は「なんか好き」が大事

理由もなく、考えるだけで心がふうわりして、明日も頑張れるような気がする。そんな「なんか好き」が増えれば増えるほど、人生の幸福度はあがるような気がしています。 すやすやと眠る猫 しとしと世界を滲ませる雨の音 早朝路上で飲むインドのチャイ ゆったり空をなぞるコアジサシ つるっとしたネイル 一畳くらいしかない狭いところ 冬に飲むバンホーテンのココア 金木犀の匂い ぽってりとした大きなマグカップ 細かな葉が落とす木漏れ日 ゆうるり体を包むオルタナティブな音楽 コンパクトシティな岡