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今日のなんでもない日記

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放っておいたら、しゃぼん玉のようにいつか頭から消えてしまいそうな、だけれどどこかに残しておきたいような、ふとした日常のひとりごと。昔のmixiのような、とりとめのない文章を認める…
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#日記

この街に眠るちいさなときめきを探して #バンコクのち暮らし 【 バンコクフォトウォーク 】

平成最終日は、写真好き6人でバンコクの街に繰り出してきた。「茹だるような暑さ」とはまさにこの事で、入道雲はもっくもく、目を開けるのも眩しいくらいに晴れ渡った青空は、36度の気温を容赦なく私たちに叩きつけてくる。 ゴールデンウィークなのに道を歩く日本人観光客の姿は無い。ガラガラの道をトゥクトゥクでかっ飛ばしながら「もう!暑い!」と何度も額を流れ落ちる汗を拭く。そんな過酷な状況を「でも何だかこうやって観光地巡ってると、ちょっと小旅行みたいだねえ」なんて笑い合える人達と、一緒にこ

人間界からのストライキはいつも海の真ん中の、あの場所で。

基本、人間であることはたのしいことだと思う。 それでも時々、人間ではないものになりたくなるのは私だけだろうか? 特別な何かがあったわけでなくて、なんていうか、ひねくれ者なのか、因果なのか「人間」という枠組みがしんどくなって、そこの輪っかから外れたくなる時があるのだ。 そんな時、決まって訪れる場所が海の真ん中にある。 香川県の島、豊島にある、豊島美術館は世界でいちばん好きな美術館。 もちろん世界中の美術館を訪れたことはないけれど(なんなら私はそこまで美術にくわしくない。興

私的にここはナウシカの風の谷。「高知県・津野町」が気持ち良かったので記録

地域をテーマに活動するTURNS さんとのお仕事をきっかけに、定期的に高知県におじゃまするようになって今年で早2年が経ちました。 「一度だけ地域に訪れる」は何度も経験があるのだけど、お仕事でこうして年に2回・3回と繰り返し同じ場所にお邪魔するのは多分はじめて。 すっかり高知県は私の中で「ただいまの場所」に定着してしまったし、特に四万十町は肩肘を張らずに過ごせる場所になってしまった。 ちなみに高知の旅は、地元四万十町を中心に活動するSTS Incの高瀬さんが一緒。行きつけの

自分のオフィシャルスタンダードがあること

「汐留ってなんだかのちが住んでいるっぽくないよね」 「えー、どのへんが?」 「そもそもオフィス街にいなさそうじゃん。もっと素朴っぽい場所を選びそう。”街”より”町”でしょ。こっち(空中で漢字を書く)の字のほうね」 「吉祥寺とか?」 「三軒茶屋とか。」 「あーはんなるほどねー」 *** 時折そんな会話を友達と繰り広げる。 同棲していた家を解消し、広尾から汐留に越してきて4ヶ月目に突入した。 前住んでいた広尾はもともと彼が愛していた場所で、わたしがそこにお邪魔した形だったけれ

ただ、目の前の日々を愛しいと感じられる人生を

「なんだか漫画のような人生送られてますね」 そんな台詞を今まで何度ももらった。そのたびになんだか嬉しい気もしたし、恥ずかしい気もしたし、孤独なような、そうでもないような、そんな感情になった。 多分その台詞には、尊敬だったりとか、後ろにカッコで「私にはできませんが」とか「私はしたいと思いませんが」とかがくっついて見えるからなのだと思う。それが嬉しさと恥ずかしさの正体。 私だけわがままに、世界のルールに背を向けながらずんずん進んでいるような気持ちになることがある。 その感情自

シンパシーというか直感と言うかね

仕事柄たくさんの「初めまして」の人に出会う。 写真関係もそうだし私はちょろちょろ出歩くことが好きなので、 お店の人だとか、町のおじいちゃんだとか、お友達のお友達だとか、多分そこらの人よりも出会いの回数は多い気がしている。 その中で「あ、この人は」と思うことがある。 会って数時間で感じることもあるし、何度か顔を合わせてストンとくることもある。 そういう時、わたしの頭の中にはボックスがいくつか存在して、ちょっと大きめの横のボックスから、なんだか繊細なデザインで作られたような小

岡山県の港町で二拠点の暮らしを始めました

タイトルそのままの通り、岡山県の港町にちいさなお部屋を借りました。 東京と岡山にひとつずつお家があり、行き来している状態です(※) 実は東京のお家についても報告があるのだけれど、それはまた次回のタイミングで。 ※ 現在は仕事以外での不要不急の外出・移動は控えています。 わたしの住んでいるエリアは、栄えている岡山市内からさらに、ローカル電車で30分ほどゆっくり行ったところ。 田舎に暮らすのは実に7年ぶりで、 荷物の時間指定はできないし(最初驚いたけどすっかり慣れてしまった

鬱々した気分はぜんぶゴミ箱に

捨てちゃえ。(教科書みーても!載ってないーけど!と頭の中に続いた人はきっと同世代) なんて言ってみたけれどわたし実は梅雨が好きです。 どれくらいかと言うと、普段ぴかぴかに晴れた日にわざわざ爆音で雨音のBGMを聴いてうっとりしてしまうぐらいには好き。この時期お気に入りの傘をくるり回しながら歩いたり、水溜りの中にわざわざ突っ込んでいったりしてます。周りからみたらへんな人だね。 だから「鬱々した気持ち」よりも「うきうきした気持ち」が勝るから「それは多分前世がカタツムリかなんかだっ

カメラは世界と自分の対話を許してくれるまるで魔法のアイテムなのね

久々に普通の日記です。 ふと、わたしはカメラの何が好きなのだろうと思った。 ここしばらく人生がずっとバタバタとしていて、最後に夢中でシャッターを切ったのはいつだろうなと思い返してみたら、気づけば多分半年以上カメラをまともに触っていない。もちろん仕事とか、何か理由があれば触っていたのだけど「何も考えず世界に夢中でシャッターを切った」は2019年9月に行ったトルコ・カッパドキア が最後なんじゃないか。 今年の始め私の人生に大きなイベントがあって、いろんなもののバランスが変わっ

写真と言葉で残したい未来のこと / 和語と写真

母が亡くなって今日で1ヶ月経った。実感はなんだかまだ追いついてこないから(どこか長い旅行にでも行っている感じ)こうして「母が亡くなった」という言葉を綴るたび、嘘でもついているような、違和感ともやっとした不安が押し寄せてくる。だけれどいつか心と現実に折り合いをつけながら受け入れなければいけない日がくる。もう少し先になりそうだけど。 そんな、ふわふわと現実と夢の間のような日々を漂っていた時に、ニュースが流れてきた。大好きな雑誌「nice things.」を運営する出版社・ミディ

2020もこのスタンスで

そういえば新年のご挨拶がまだだった。とふと思い出して、寝る前に書いています。みなさま新年あけましておめでとうございます。今年も何卒、よろしくお願いします。 気づけばnoteもtwitterもフォローしてくださっている方が約3万人になり、よく「大事なのは数字じゃない」と言う人もいるけれど、これは立派な信頼の数だと思っている。ので、大事にしたい。大事じゃなくない。 わたしはメインの情報発信にTwitterを使っているのだけれど、まだ1000人くらいしかフォロワーがいなかった頃

ずっと書けなかった自分史、再開しました

「ねえねえのちさん、更新ってまだですか?」 ちょっとニヤニヤしながら、冗談まじりに聞いてくれる知り合い達にめっちゃごめんなさい、明日は必ず!だなんて、顔の前で手を合わせ、わざと守れない約束を結び付けては破り続ける日々から、1年が経ちました。 「書けなかった」なんておこがましい、「投げ出して」と「書かなかった」が正しい訳なのだけど更新を再開しました。80人近くが購読してくださっていて、この申し訳なさったらない。本当にごめんなさい。本当に。これから真面目に執筆していきます。

ときめくバンコクの歩き方レシピ (#バンコクのち暮らし)

9ヶ月のあいだ、タイ・バンコクに暮らしていました。 移住先にタイを選んだのは、正直なんとなくで(何度も足は運んでた)、でもこの”なんとなく”な感覚って人生にとても大事なものだなあと思っている。常に「理由がなくても好き」を選んでいける人生でありたいと常々思っている(ぽい)ので、本当に、自分で選んだ場所に住まいを置いてみる、という感覚は、何だかすごく楽しい9ヶ月間でした。こうやって場所を選んで住む、ってもしかしたらはじめてだったかも。 現地からは主にTwitterにて、「#バ

サマルカンドブルーに染められて(ウズベキスタン・サマルカンド)

トルコからウズベキスタンへ渡って早6日目。「ウズベキスタンに来たならぜったいに行った方が良い!」と地元の方から熱いラブコールをもらった町「サマルカンド」へ足を運ぶ。 タシュケントからは列車で4時間(早いやつだと2時間で着くみたい)揺られて到着しました。 サマルカンドブルーと呼ばれる青があることは知っていたのだけれど、ネットやパンフレットを見るとあまりの青さに「流石にここまで綺麗ではないだろうなあ」と加工の力だろうなあと斜に構えていたのだけれど、実際に足を踏み入れてみて驚いた