音楽が好きだった話
偏愛コラム、書きたいな〜
なんて思いつつ、冷めた私の心を探っても好きなものは見当たらなかった。
だから書けないな、と思っていたのですが、ブルーハーツやポルノグラフィティという文字を見てて、そういえば、私、音楽が好きなんだった、ということを思い出しました。
おそらく過去偏愛していたであろう、音楽について書いてみます。
〜〜〜
記憶にあるのは、小学校の頃、母がよくかけていたEvery little thingのCD。
一生懸命歌詞カードを見ながら聴いている母の姿を思い出す。
少し気だるいもっちーの声が心地よくて、私がハマるのに、そう時間はかからなかった。
そこから歌うことが大好きになり、学校の行きや帰り、休み時間、放課後、ありとあらゆるところで歌ってた。
「のんちゃん、いつも歌ってるから、嫌い」なんて友達に言われてしまうほどに。笑
私の両親は敷いたレールを外れることに敏感な人たち。だから、親に「将来何になりたいの?」と言われたら「薬剤師!」と答えていた。(そう言っとけば波風立たないでしょ?という、小学生ながらのスレた気持ち)
でも、心の内では「絶対私は歌手になる!」と思っていた。誰にもいえないけど、当時はなんだか確信めいたものがあった。
歌手になるためにどうしたらいいか考えた。
とりあえず、軽音楽部に入ってバンドを組もう。そしてオーディションに出たり、ライブに出たりしよう。
中学校1年生のときの私は「その成績じゃ、どこの公立高校も受からないよ」と言われていた。
でも、軽音楽部がある高校は、地域で1番目と2番目に頭がよい学校だけと知って、1年半で偏差値20くらいは上げた。
結果、地域で2番目の高校に、学年3位という成績で入学した。
高校、大学の時はバンドに明け暮れた。
オーディションに出て、賞もとった。先輩は、今のSUPER BEAVERやsumikaと対バンしていた。
福岡の天神にある警固公園で路上ライブしたり、百道浜の高架線の下でギターを鳴らしたり、そこらへんの道で友だちと練習して怒られたり。
楽しかったな。
でも、バンドメンバーが抜けたり、うまく続けられなくなったり、お金の問題があったりして、徐々に現実に直面し、徐々に、徐々に、あきらめていった。
教育大学に入ったのは、子どもが好きなのももちろんだけど「将来仕事をするなら、音楽に関われる仕事がいい。学校の先生だったら、いつでも好きなときに子どもたちと歌える」と思ったのも大きかった。
「どの教科が一番重要だと思う?」と、教員の頃よく先生たちと話したが、私は音楽だと思う。
音楽は人を救うし、世界を救う。(あまり共感は得られなかったが)
音楽は私が諦めた道。だから、強く心の内を書くと、どうしてもぎゅっとなってしまう。これは果たして偏愛なのだろうか。多分ちがう気もする。
まあ、たまには昔のことを思い出してもいいよね。
Discord名:のん non1516
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