去って行く人間と 残された者の失念

昨晩、思い立ってもっとも大切だった人のことを一から思い出して
曖昧なままで残されていた気持ちの整理を
少し時間をかけて、ゆっくりとしていくことにした。
まだ一向に胸のつかえがとれないからだ。
ただ単に傍から見たら未練たらしく過去の
恋人を思っているだけなんだけどね。

タイトルに関して、なかなか最近著名人の訃報を目にすることが多い。
思い出のワンフレーズにその方々が、随所BGMのように現れることが多い。
よく言う訃報を偲ぶ言葉をSNSに投稿する人がいるが、私は捻くれているのであまり、そういった一個人の発言に対して苛立ちを重ねることが多い。
”大好きだったのに何故” 悔やみが多い。
私は手の届かない事に関しては極力無関心を貫く。
著名人の死もそれになる。
全力で近くにいようとしない者がそこで何かを述べることを許されない気がしているからだ。身近で親しい間柄であれば、どうにかこうにかとあらゆる手を尽くして助けようとするだろう。ただ思い返してみれば行動に出たはいいが角の違う方向で拒絶された経験が多くあるので、そういった積極性も思い返してみれば非常に薄れてしまった。皮肉にも人の優しさは傲慢であり醜態だと未だに思ってしまう事がしばしばあるのだから。

タイトルの事柄については、人は勝手だという意味合いを込めて。

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