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惹かれ焦がれ続ける子どもという概念

無垢であるから美しく、無知であるから教育を。大人に愛され、保護される。それが子どもという生き物。

その価値観は人間が誕生したその時から普遍的なものである。そう確信していたのは何故なのだろうか。

忘れもしない、2016年の夏。私は子供観という価値観と出会った。

青色のスリーピース・アンサンブルドレス

2016年の夏、ジリジリと日差しが強い真昼間。アスファルトが黒く焦げてしまいそうな暑さの中、私はお気に入りの黄色のストライプ柄のワンピースを着て木々を真っすぐに引き裂いたようなコンクリートの坂を歩いていた。

目当ては1つ。東京都庭園美術館で開催されていた「こどもとファッション展」という展覧会だ。

何故、この展覧会に足を運ぼうとしたのかは覚えていない。ただの気まぐれだったのかもしれない。もしも本当に気まぐれだったのならば、私はきっとそれに感謝するだろう。この展覧会は私を狂わせたのだ。

美術館に入館してからすぐ、エントランスに置かれた3体のマネキン。1人の大人のマネキンと2人の子供、男児と女児のマネキンだったと思う。もしかしたらそのマネキンは親子であったのかもしれない。私の子供観へのこの男児のマネキンの前で立ち止まった。

青色のスリーピース・アンサンブルのワンピース。

彼はとても可愛らしいワンピースを着ていた。真っ白なブラウスの上に着させられた青色のワンピース。私はそのどこまでも可愛らしいワンピースに心を奪われた。

そして、それが愛くるしい生き物「こども」の為に作られたものと知った瞬間に体中に鳥肌が立った。恐怖でも寒さからでもない。私の中になかった価値観を知ったことによって体中が歓喜したのだ。

愛くるしい生き物の為に

展覧会はとても素晴らしいものであった。次々と展示される可愛らしい子ども服は、大人から子どもへと向けられた気持ちがそのまま具現化されたかのようだった。

子どもは愛くるしく、無知で無垢な生き物である。だから大人は愛し、教育し、保護しなければならない。

しかしそれらは子どもから望んだ事ではない。大人のエゴから生まれたものなのだ。

その純粋であり、歪な愛である大人から子どもへ対する眼差しは私を魅了した。そしてその気持ちは4年経った今でも私を魅了し続ける。

勉強してわかった事なのだが、子ども観に対する書物は少ない。だから私はこれから子ども観、子どもに関する知識をnoteへ書いていこうと思う。

この愛くるしい生き物である「子ども」へ対するエゴイストな眼差しを知ってもらうためにも。

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