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くよくよなりの矜持

うららかな秋晴れの土曜日。
幼なじみのこまちゃんと丸の内で紅茶を飲んだ。

クリスマスアールグレイ

ちなみに昨日の上品先生の診察から、新しくほんのちょぴっとお薬が追加された。
この前の土曜日にぐったりと倦怠してしまったことや、その後続いていた重だるい頭痛などのことを話したら「ちょっと気分をあげる薬を使ったほうがいいかもしれないですねぇ」という判断。
新しいお薬は、まぁまぁ効果を発揮してくれていて、悩まされていた重だるい頭痛や、舌の痛みも抑えてくれているように感じる。
よかったな、いや、よかったのか?薬が増えているのはいいことなのか?と思いつつ、でも頭痛がなく過ごせるのはいいことだと思う。

たとえば胃腸を酷く壊した時は、しばらくは胃腸自体が荒れているので、まずはその荒れを治すような投薬をするし、生活においても胃腸を荒らさないような生活をするよう努めるだろう。痛みが出る日があれば、痛み止めも飲む。
そんな風にして少しずつ荒れもおさまって治っていくものなので、脳や心も、そうなんではないだろうか。
いきなり痛みがゼロになんてならない。
荒れがおさまるまでは、薬を飲みながら、増やしたり減らしたりしながら、生活の中でも荒れがおさまるような努力をしたりしながら、回復するのを待つ。

とにかく待つんだ。凹まずに。
大丈夫。
そんなふうに自分に言い聞かせる。

・・・・

休日の新丸ビルはともかくすごい人混みで、こんな場所をウロウロしていてはまた土曜のようにぐったり疲れてしまうのではと懸念したが、こまちゃんとおしゃべりして帰るだけだったので大丈夫だった。

こまちゃんは小学校の頃からの心許せる友人だ。
彼女は去年の2月にコロナになって以来、コロナの後遺症が続いて一年近く仕事を休職していた。
具体的には、めまいの症状。ぐるぐる回るのではなく、ゆらゆらと「船に乗っているみたいな感じ」と表現していた。船酔いみたいな気持ち悪さなのだそうだ。
それが何時間か続く時もあれば、5分で終わる時もある。自分ではコントロールができない。

後遺症外来でずっと治療を続けていたが完治せず、休職できるギリギリいっぱいの期限が来て、今年の初夏から仕事に復帰している。
三人のお子さんのお母さんでもあり、しかも長男くんは中学受験間近だ。さぞ大変な日々だろうと思う。

いまもめまいの後遺症はあって、たまに、「あ、いま回ってるな」と気づくそうだ。
でも、そんなふうに、「あ、」ってあとから気づくくらいにもう慣れたのかもしれないと。
「なってしまったものは仕方がないから、なるべくその前提で生活してくしかないよね」という。

わたしの舌痛症の話をすると、真剣な表情で聞いていて、こまちゃんの経験から感じることを話してくれた。
治療ですぐには治らない、コントロールの効かない症状との付き合いかた。同じような思いをしてしている人から話を聞けたのがとてもありがたかった。

「うす皮を一枚一枚剥がすみたいにすこしずつ良くなっていくんだって自分に言い聞かせていた」

という言葉が印象的だった。
うす皮を一枚一枚はがしていくように、回復する。
うす皮だから自分では分からない。
でもちゃんと良くなっていってるんだって思いたいし、きっと思える。

夕方まで紅茶を飲みながら、長男君の中学受験のめちゃくちゃ大変な(あと2ヶ月!)話も聞いて、3人も子育てして仕事もしてるなんて、大変すぎるに決まっているのに、ふんわりと知的で可愛い雰囲気を保ってるのがほんとにすんごいなと思う。

わたしが最近リラックスのために愛用しているパック(ルルルンのバランスパック)と、温められるアイパックシートをプレゼントした。

次に会う時は、受験終わった頃かな。
その頃のわたしは元気にしてるかな。
受験って、どうなるかわからないけどさ、「結果がどうなってもちゃんと人生は続くし、きっとそれが良い道につながってゆくよ」と、帰り際に手を振った。

・・・

きのう今日と、単発で瀬戸内のほうでパフォーマンスのお仕事をするという方と先週話していて、「写真撮ってきてくださいね!」とお願いしておいたら、本当に送ってきてくださった。

美しい瀬戸内の夕暮れ。
素晴らしくて言葉にならないな。

わたしはまだ瀬戸内海をこの目でちゃんと見たことがない、かもしれない(小さい頃にはあったのかもしれない)。
わたしの亡き父が瀬戸大橋の建設に関わる企業で仕事をしていた関係で、あのあたりによく出張をしていたことを覚えている。
でも、わたし自身は瀬戸大橋を渡ったことはない。瀬戸内、四国、行きたいな。

ちなみにパフォーマンスの仕事で運転手さんの役の格好をしている写真も送ってきてくださった。
リアルな運転手さんにしか見えないリアルさだな!と驚いていると、「本当の運転手と間違えられて外でお客さんに話しかけられました」だって。笑ってしまった。

・・・

わたしは基本的にくよくよしている人間だが、くよくよしている人間にも、くよくよなりに頑張り方ってものがある。くよくよなりの矜持です。
くよくよはするけど自分のことを絶望したりしない。
あとくよくよはしてるけど、その代わり周りの人には恵まれているなって思う。

くよくよしながらも、希望はちゃんと携える。

帰宅してから、家族であつあつの玄米茶をふぅふぅいいながら飲んで、ちょっとしたお菓子を食べたのがなんだかとても幸せだった。
なんてことない時間なのにな。
そんなのが、とても、きっととてもありがたいものなんだろうな。