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さらば、9月よ

事件続きの2023年9月……。

その締めくくりというのかフィナーレというのか、あるいはラスボスだったのか?
昨日、外出中に救急車ではこばれる事態になってしまった。

救急車に乗るのは2年ぶり4度目である。
原因はいつも同じで、謎の猛烈な胃痛・腹部痛。
その痛みは歩くことも座ってることもできないような強い痛みで、両手の感覚がなくなっていき、そのあと意識が遠のいてくる。吐いてしまうときもある。唇は真っ白だよ。

ただの胃痛なら薬を飲んで耐えるのだが(その程度のものもよくある)、意識がなくなるのがやばい。

初めてその症状になったのは6年くらい前で、自宅にいて突然痛みに襲われ、動けなくなってしまった。救急車を呼ぶべきか、しかし腹痛で救急車を呼ぶのも…とだいぶ逡巡した末に意識を失いかけて救急車を呼んだ。

到着した救急隊員さんに、遠のく意識と戦いながら「呼んでしまって申し訳ありません」と言ったところ、「こういう腹痛は絶対に我慢しないで救急車呼んでください。呼んだので正解ですよ」とおっしゃられた。
(救急隊員さんってどの方も優しくて頼りがいがあり、ありがたい。いつも涙が出てしまう)

原因は不明で、救急搬送後にCTや血液検査、胃カメラ・大腸カメラなどでも調べても毎回なんの問題も見つからない。お医者さんが「どうしちゃったんでしょうねぇ…」と首を捻る。
食後だったり、食前だったり、外を移動中だったり、痛みが起きる状況は同じではないため、余計に謎である。
身体の中でなんらかの条件がそろった時に起きる偶発的な痛みとか、あとは、神経の反射みたいなものかも?と昨日のお医者さんはおっしゃっていた。

「でもそれだと自分で気をつけようもないし、いつ起きるかわからないからやだよねぇ」

そうなんです。ほんといやだし怖いよ。

ちなみに昨日は午前中から外にいて、母と一緒に中華料理屋さんで五目あんかけ焼きそばを食べたあとに具合が悪くなり運ばれた。
だが、救急隊員の方がなぜか「直前の食事は鉄板焼きです!」とおっしゃっていて、え?あれ、ちがう、そんないいもの食べてない、あんかけ…あんかけ焼きそば…と必死で伝えたところ、
「訂正、あんかけ焼きそばです!!」
とこれまた大きな声で情報共有。
ちょっと恥ずかしい。
搬送先の病院とのやり取りの電話でも、何度か「鉄板焼き」と言いかけては「あんかけ焼きそばでした!」の流れが繰り返されて、なんでわたしあんかけ焼きそばなんて食べちゃったんだろ……鉄板焼きにしとけばよかった……と謎の後悔を覚えることとなった。
(よく分からない後悔……)

昨日は夕方に長崎から上京しているジーちゃん、そしてこまちゃんと三人でお茶をする約束をしていたのに、そんなこんなで行かれずじまい。涙こぼれる。
ジーちゃんは明日うちに遊びに来てくれるそうなので、それまでには元気になりたい。

はー、しかし、今月ほんとになんなの。
厄落としかなにか?
デトックス月間?
さすがにもうこれがラスボスであってほしいものだ。

・・・

ほうほうのていの昨夜、娘と一緒に録画しておいた「葬送のフリーレン」初回を見た。
エヴァン・コールさんが音楽を担当すると知って、わたしは彼の音楽がとても好きなので絶対に見ようと思っていたのだ。

わたしはもともとまったくアニメを見ないんだけれども、若者支援の仕事のなかで元引きこもりやニート状態にある若者たちから「好きなアニメ」「最近面白かったアニメ」の話を聞くことがよくあり、教えてくれたアニメはなるべく1話だけでも見てみるようにしているのだ。

教えてくれてありがとうという思いもあるし、次にその若者と会った時にそのアニメの話をできるから見てみるとも言える。
自分が「面白いですよ」と言ったものを相手がちょっとでも見てくれたら、やっぱり嬉しいもんじゃないかなと思うので。

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」も、そんな若者が教えてくれたアニメだった。
作品名を言われたとき、聴いたことある、と思った。それは京都アニメーションの事件の時に聴いた作品名だったのだ。
「どんな作品なんですか?」と尋ねると、「……戦争とか……あと手紙とか…」と言葉少なに教えてくださった。

そうして見てみたら、確かに戦争と手紙の話であり、そして、それゃあもう泣けた。号泣である。ストーリーも素敵だけど、音楽がとにかく素晴らしかった。クレジットを確認して、エヴァンさんのことを知った。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンはその後すべてのシリーズを見たし、いまでも好きな話だけ見直すことがある。
エヴァンさんはその後大河ドラマ「鎌倉殿の18人」の音楽も担当されていて、それもまた良かった。

で、「葬送のフリーレン」だ。
幼い頃からドラクエやFFなどのRPGをやりつけていたわたしとしては、物語が「魔王を倒して平和が戻ったエンディングのその後から始まる」というのにかなり興味をひかれた。
エンディングのあともそれぞれの人生は続いていく。そりゃそうだ、でもゲームではそこは決して描かれない。

物語の主人公は、「その後」を生きるフリーレン。

いまはもういなくなってしまった大切な人がいて、その人とはもう決して会うことはできない。
でも、わたしが生きている限り、わたしはその人との出会いを失うことはなく、
そして、
生きている限り、また新しくその人と出会い続けることができる。

なんだかそんな予感がするお話だった。
別れながら出会っていく。というような。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」とも似ているところがあるかもしれない。

そういえば、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を教えてくれた若者は、その後あれよあれよという間に仕事に就いて、支援を卒業していった。なので、わたしがヴァイオレット・エヴァーガーデンを見て号泣したことも、エヴァン・コールさんのファンになったことも彼は伝知らない。
それだけが少し残念だけど、でも、出会いってそういうものでもあるのかもしれない。
その人と出会って、なにか新しい種を撒いてもらったりして、いつの間にか自分に変化が起きていたりするというような。

わたしの中で、彼との出会いもまた失われることはないだろう。

・・・

これを書いたり保存したりしているうちに10月になった。
よし、9月よさらばだ。

いろいろあったけど、わたしは振り向かず10月に踏み出すよ。