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11番目の席

きょうは休みの日。

いろいろあって勤務日数が規定より多くなってしまいそうなので、今週はちょいちょい休みを挟んでゆるゆる仕事している。

出勤→お休み→出勤→お休み→出勤

という感じなのですが、これがすごく楽。
一日おきに休めるということは、常に「明日は休みだ」と思いながら働けるわけ。
そんなの楽に決まってる!
ちょっと嫌なことがあったとしても、翌日すぐに気分転換できるし、ふて寝だってできちゃう。

一生このペースで働きたい…!とこぶしを握りしめるくらいなのだが、それだと週3勤務になってしまうので家のローンが返せないですね。
世知辛い~。
でもそれが現実。

・・・

川のほとりの人を、ある支援に繋いでホッとしたのもつかの間、またご本人が「果たしてこれでいいのか」とぐるぐる考えてしまって振り出しに戻りかねん状態だ。

人の思考というのは形状記憶みたいなもので、一度変わったと思えても、放っておくとまた同じかたちに戻っていたりする。
さわやかに、高らかに何かを言い切った何日後かには、また同じ沼に浸かってたりするものだ。
終わったはずの映画に続編が…!みたいな。
わたしもそうだし、人はみなそういうものかもしれない。

人間はそんなに軽やかでさわやかなものではないのだ。

しかしだ~。

来週また話をする予定だけど、どうしたものか、どう話したものか考えこんでいる。

「あ、また同じところに戻っていますね」とさらっと指摘することはできる。
でも、それ(思考が戻ってしまうこと)はおそらく言葉のやりとりだけでは解決しなくて、行動することだったり、経験だったり、実感をともなうなにかがだんだんと思考に働きかけてくれて、いつのまにかかたちが変わっているというようなものだと思う。

だから、言葉のやりとりだけで人に働きかけるって難しいなといつも思うのです。

だって自分のことですら言い聞かせるのは難しいし、なかなか考えってどうにも変わらないですものね。

・・・

そういえば水曜日に、つーさんのところへ行ってきた。

(↓つーさんについて)

すこし久しぶりになってしまったが、面会室に現れたつーさんはかなり心配な様子だった前回よりは多少顔色も良くなっていた。
「ちょっと顔色が良くなったように見えるよ」と言ったら、「そう?そう見えてるならよかった」と伏し目がちに笑う。自分ではそんなこと思ってなさそうだ。

やつれ感は相変わらずで、座ったシルエットもひと回り小さくなってしまっている。

窓もない面会室はエアコンがつけられておらず、天井の扇風機だけが狭い室内の空気をかき回していた。
その扇風機の音がやけに大きく、つーさんの声がよく聞こえない。「え?」「なんて?」と何度か聞き直しながら、こちらも極力大きな声を出しながら会話した。

つーさんはこの4月に起きたショックな出来事からまだなかなか立ち直れていない。
「心の傷が癒えない」とこぼす。
それは、外にいるわたしにしてみれば「でも解決したんだから良かったじゃない」と言って済ませることもできるような出来事だ。

でもテレビもない、スマホもない、気晴らしもできない状況では、一度陥ってしまった心の状態を変えることはとても難しいだろう。
それこそ、形状記憶。
夜も眠れず、強めの薬を処方してもらっているとのこと。午前中は頭がぼーっとしてしまうことや、それでもなんとかやることを見つけて作業するようにしていることなど教えてくれた。

そうか…そうだよね…、とうなずきながら話を聞いていたら、ふとつーさんが、

「つまらんやろ?」

と言う。
え?なにが?と思わず顔を上げて尋ねると、

「せっかく来てくれてるのに景気の悪い話ばかりで、面白い話のひとつもできないで…」

そんな風にまたアンニュイになるつーさん。
おいおいなにを言ってるんだよ。

「わたしは楽しませてもらおうと思って来てるわけじゃないよ。むしろいま元気がないつーさんに対して、私のほうがなにか面白いことのひとつもして笑わせるべきじゃない?」

と真顔で答えると、数秒間黙ってから、

「……ののっつさんがなんか面白いことしてるのは想像がつかんけど、想像してみても、たぶん柄になさすぎて面白くないと思うわ」

と、思わず吹き出して笑っている。
一体どんなスベりかたをしているわたしを想像してるんだ。
まあ、笑ってくれたからいいけど。

「今日はののっつさんが来てくれたからラッキーな日や」

そんなことを呟いて、ほっとした顔をしていた。

20分ほどの面会を終えて、地上に戻る。
いつもの売店で、チーズや煮卵、ミックスナッツを差し入れる。
「ナッツは総合栄養食やから」と、最近毎回リクエストがある。スーパーのように値引きがされない完全な定価なのでけっこう高価なのだが、なにしろ総合栄養食だからなと思い、多めに差し入れた。

帰り道、いつものおしゃれなカフェに寄って、ケーキのケースの前でうんと悩んでからアメリカンチェリーのタルトを注文した。

きょうは11番目の席。

アイスコーヒーを飲みながら、こんなお店でつーさんとおしゃべりしてみたいものだなとふと思う。
それはおそらくまったく叶わないことではあるけれど、一度くらいはそんなことがあってもいいんじゃないかな。まあ、ないんだけれども。

でも、あってもいいんじゃないかな。

もう10年くらいの友だちになる。
狭い面会室以外では話をしたことがなく、つーさんが食べものを食べるところも飲みものを飲むところも見たことがない。

アイスコーヒーを飲むつーさんを想像してみる。
たぶん、一瞬で飲み干すだろう。
でも、おそらくそれを見ることは叶わない。

ただそのことに憤るでも、悲嘆に暮れるでもなく、ただ、そうなんだよな、一緒にアイスコーヒーは飲めないんだ、と思う。

それでもわたしたちは友達なんだ。