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憧れの楽器

なにか新しいことを始めよう。

と、思った。

GWの隙間の平日、昼下がりのドトールで、ミラノサンドAをかじりながら思ったのだ。

新しいこと、なにか新しいことだ。

・・・

ここ数日のわたしは実にくさくさしていて、やんなるなぁ、やんなっちゃうなぁ、なんなのかなぁ、と、久しぶりに自分を投げ出したくなっていた。

先日見た夢(焼きそばじゃないほう)が案外ダメージでかくて、わたしってあんなことを思っていたのか…つーかそうなんだ…本当に嫌なんですけど…消えてなくなりたい…と、思い出しては頭を抱えている。

本当は、今日は、久しぶりにつーさんのところに行かなくちゃならなかったのに(だって今日は祝日の谷間の平日だから)、「頭が痛い気がする」「銀行で学費を振り込まなきゃいけない」などと行けない理由を探して、結局行かなかった。
行かない代わりに便箋に手紙をしたためて、差し入れの雑誌などと一緒に送った。
せめてものお詫びのつもりであるが、これは「行かなかった」自分に対する言い訳でもある。
でもそれはもういい、無理はしないで生きることはもう決めている。できないことは無理してやらない。

・・・

さて、新しいことだ。

なにかやりたいことに挑戦しよう。

そこで思いついたのがバイオリンだった。あ、バじゃなくてヴァだったね。

わたしは幼稚園の頃からなにかしらの楽器を演奏し続けて大人になったけれど、いわゆる王道の楽器に触れたことがない。

具体的に楽器遍歴を記すと、エレクトーン(幼稚園から)→アコースティックギタ(中学から)ー→マンドリン(大学から)の順だ。

なぜピアノじゃなくてエレクトーン?
なぜクラシックギターじゃなくアコギ?
なぜヴァイオリンじゃなくマンドリン?

我ながらよく分からないけど、マイナー街道を歩んできた。それらの楽器を私は今でもとても好きだけど、特にマンドリンはマイナーだな…。この前もマンドリンのことを話していたら「マンダリンですか」と言われたばかりだ。

人生で一度くらい、王道のやつをやってみたい、そうだ、ヴァイオリンを弾いてみようじゃないか。

ドトールを出てすぐにレッスンできる教室を調べた。
すぐに電話。
来週の体験レッスンを予約。
我ながら、思い立ったらすぐ行動、考えるより動く人間なのである。あと、スマホって便利。

・・・

亡くなった祖母がむかし、

「汝、右の手のなすことを、左の手に知らしむることなかれ」

という言葉を教えてくれた。

本当は、「汝、施濟をなす時に」という但し書きがついている。

あなたが誰かに何かをしてあげる時、たとえば施しをするとき、他人にその行いを言いふらすことなく黙ってやりなさい。
あなたのもう片方の手すら、そのことに気づかないくらいの静けさで。
という、たぶん聖書の中の言葉だ。

初めて聞いたとき、なにかとてもしっくりくるものがあった。
パチリとはまるなにかがあった。

右の手のなすことを左の手に知らしむることなかれ。

わたしがこれまでモヤモヤしてきたこと、こうありたいと感じてきたことを、その言葉が解説してくれたような気持ちがした。

なぜ祖母がその言葉を教えてくれたのかは覚えていない。でも、祖母は、誰にも言わずに自分をもっとも後回しにするような、決して得をしようとしない人だった。

黙って行動する。それは別に施しに限らず、どんなことでも。
右手のすることを、左手にも悟られないくらいの静けさで。

・・・

「ヴァイオリンを弾いてみたいと思ったきっかけを教えてください」

音楽教室の人に電話口で誠実に問われ、考えるよりまず行動してしまったわたしは、

「…そうですね、クラシックは聴くのはわりと好きですので、コンサートなどでも見ていましたし、いつか弾けたらいいなと思っていたような気がします」

と、しどろもどろになった。

「なるほど。憧れの楽器だったというわけですね」

端的にまとめてくださった。

そうかもしれません。
憧れの楽器。陽の当たる王道の楽器。
それ、おそらくとても的確です。


そんなわけで新しいことを始める。
このことはまだ私の左手には言っていないつもりだが、左手がどう思ってるかは知らない。