見出し画像

別れに祝福を贈りたい

相変わらずなんだか低調。

はー低調だよ低調、と、どんよりしつつ、今日で退職される先輩相談員の方のためにお花を買いに行った。
地元のお花屋さんをちらっと覗いたけど、なんだかお花の品ぞろえがいまいちだったので、ちょっと足を伸ばして日比谷花壇へ。

夏の花屋さんはひまわり推しですよね。
店内がなんだか黄色い。夏だね。

でも、これはもう本当に単なる好みなんだが、ひまわりの花束にはしたくなかった。ひまわりって花束にするにはちょっとエネルギーが強い気がするのですよね。
わたしは花を贈るのなら、優しく美しい気配とともに贈りたい。

その先輩はエレガントな方なので、茜色のダリアやベージュっぽいバラ、などを入れてもらい、あとは予算を伝えて「エレガントな感じにしてください」とオーダーした。

15分後、受け取りにいくと、その先輩そのもののようなエレガントな花束に仕上げてくれていた。
うれしかった。
花束に灼熱の日差しがあたらないように気をつけながら、バスに乗って職場へ向かう。

・・・

ムロヤマさんからLINEが来ていた。

「あっちいね。○日のお昼あいてる?」

遠方に住んでいてもう何年も会ってないのに、昨日も会ったかのようなよく分からない距離感で話しかけてくる。
今度上京するので、国試合格のお祝いも兼ねてごはんをご馳走してくれるということらしい。

スマホに目を落としながら、ムロヤマさんに前に会ったのっていつだっけ?と考える。

たしかコロナ騒ぎの直前だった。

その頃、わたしは社会福祉士の国家試験を受けるための受験資格を得るために専門学校に入学し、仕事や家のことと勉強を両立していた。
日比谷にある図書館でレポート提出のための勉強をしてから銀座でムロヤマさんとごはんを食べた、ような覚えがある。なにを食べたのかはまったく記憶にない。
雪国から上京してきたムロヤマさんに「東京ではもうマスクが買えなくなってきてますよ」と道を歩きながら話をした覚えがあるな。
あれはじゃあ2020年の春か。もう3年前だ。

その少しあと、2020年4月にわたしは目の病気になり(多発消失性白点症候群・mewdsというちょっと珍しい病気)、右目がほとんど使いものにならなくなって、治るのかどうかも分からないと言われ、そのことで精神的にも大きくやられ、つらい暗い日々を送ることになった。
そのトンネルは二年弱くらい続いて、ようやく復活できたなと感じたのはここ一年くらいだ。
思えば人生一番のピンチのシーズンだった。

そのことはムロヤマさんは知らない。
話をする機会がなかったから。

そしてわたしはレポートを落としたりしながらも専門学校をなんとか卒業し、今年の春にヒイコラ言いながら国家試験に合格できた。

病気になった右目の視力は結局、以前ほどには戻らなかったんだけど、でも、いまはもうそれでもぜんぜん平気だ。

ムロヤマさんにはムロヤマさんの三年間があっただろう。
わたしの三年間にはすごく大きな出来事があった。

それぞれの人にそれぞれの三年間があったんだな、と、思う。

・・・

エレガントな先輩にエレガントな花束を渡し、「お元気でね」と言い合って別れた。
その場にいた人はみなすこしの涙を浮かべていたし、ご家族の病気や不幸がかかわっての退職だったので、きっと心残りがあったろう。

でもこれも選択なんだ。

わたしたちは選んで、生きてゆく。
昨日まで当たり前のように顔を合わせていた人とも、ふと、もう会わなくなる。
もしかしたらこれきり一生会わないのかもしれない。

それでも人生のひとときに同じ時間を重ねて生きていたこと、そうして、そのあと別れたということ、でももしかしたらまたいつか再会するかもしれないということ。

先のことなんて誰もわからないのだから、わからないままで、何も決めずに、生きていけばいいと思う。

なんていうか、お花を贈るってことは、感謝とかお祝いとかそういうことよりも、その人に希望がありますようにという願いを贈ることなのかもしれない。
それはおそらく言葉では決して表現することができない、祝福そのもののような思いだ。

ありがとう、そしてあなたに良いことがありますように。

あのエレガントなお花が先輩のおうちで綺麗に咲いてくれていたらいいな、と思う。