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どこを切り取ってもわたしである

ここのところ、山本文緒さんの日記エッセイを3冊、同時並行で読んでいる。

まず最初のこれは、1996年に書かれたもの。

彼女はまだ30代で、最初の夫と離婚してはじめての一人暮らしをしている。携帯電話やネットはまだ普及しておらず、FAXや家の電話が大活躍している。
そんな頃のとても自由な一人暮らしの日記だ。

そして次に書かれたのがこれ。

彼女は40代になり、新しい人と再婚して(別居婚)、そしてうつ病になってしまった。その何年かの日記だ。闘病の日記とも言える。
読んでいてすこし苦しくもある。でも、どこか気楽に読めるのは、山本さんが持つどこか冷静でカラッとしたクレバーな文体のおかげだろう。

そして、

最後が2021年に発刊されたこの日記。

58歳ですい臓がんステージ4、余命4ヶ月を宣告された最後の生活を綴る日記。
山本文緒さんはこの日記の最後、2021年の10月に亡くなられている。

同じ人が書いた30代、40代、50代(亡くなるまで)の日記を同時並行で読む(順番にならまだしも。)、というのはなんだか妙な感じなのだが、でも、ああこの日記はどれも山本文緒さんが生きた生活の記録なのだと、どこを切り取っても彼女の人生なのだと、そして彼女はもういないのだと、「生きる」ことについて「考える」というより「感じる」ものがとても多い日記たちだ。

わたしはいま40代だが、どんな50代を送るのだろう、あるいは送れないのだろうか。
病気がいつやってくるかは誰にも分からない。
あるいは60代や70代が待っているのかもしれない。どうなるかはわからない。
でも、きっと同じように、きっと人生のどこを切り取ってもわたしなんだな。

・・・

仕事がある日はわりと調子が良く、休みの日はやることがなくて呆然としてしまって調子を崩しがちなここのところだったが、今日(天皇誕生日で祝日)はなんだか調子が良い。娘と朝ごはんを食べ、トイレ掃除をし、掃除機をかけ、洗濯をし、雨なので浴室乾燥にかける。部屋にジャズをかける。
うれしいな。そんなことでもしみじみと幸福に感じる。

そして、夫にも相談して、とある資格をとるために勉強を始めることにした。通信制の専門学校に9ヶ月だけ在籍してレポートを提出したり、あとはスクーリングが7日間くらいあるけど、休みの日にやること(勉強)ができるのはすごく嬉しい。あと仕事の役に立つので、この決断はよしとしよう。
願書を作成したり、専門実践訓練給付金のためのキャリコンをハローワークに予約したり、にわかに忙しくなった。

そんななか、つい何日か前、幼なじみのジーちゃんと、こまちゃんとLINEのビデオ通話(顔が見えてる)をした。ほんの1時間くらいのつもりが、気づけば3時間もしゃべっていた。
東京に住むわたしたちと、長崎に住むジーちゃんとこんなに気軽に喋ることができるのだからすごい時代だ。ダイヤル電話も記憶にあり、中高時代を携帯もネットもなく過ごした世代のわたしからすると、これってほんとにすごい。

それにしても、話題が「大腸カメラを受けるか否か」「親の遺産相続について」など、なんだかおばさんくさくなった。40代半ばともなると、まぁ、そうなりますわな。

・・・

先週はつーさんの誕生日だったが、会いに行くことができなかった。
出会ってからもう8年ほど、誕生日にはなるべく面会へ出向いて、アクリル板越しに「ハッピーバースデー」を歌ってきた。
立ち会いの刑務官がいるのでちょっと気恥しいのだが、しっかりと歌い上げる。

つーさんは自らの父親の顔を知らずに育ち、パチンコ依存の母親にもネグレクトされて施設に預けられ、親しい家族に誕生日をまともに祝ってもらったことなく育ってきている。
そんな事情も知っているから、わたしはハッピーバースデーを歌い上げることにしているのである。

でも今年は、わたしの調子が良くないのでまだ歌いに行けていない。
その代わり、電報でハッピーバースデーを伝えた。電報は便利だ。そのうち無くなる文化なのではないかとビクビクしているが、施設収容者とやり取りをしている身としては電報は非常に貴重なのである。

ちなみに、3月のわたしの誕生日にはつーさんがハッピーバースデーを歌ってくれる。
歌えと言っているわけではないのだが、歌いたいのだという。ちょっと恥ずかしいが、アクリル板越しに歌ってもらい、ありがとうとお辞儀をするのがならわしだ。

わたしたちは友達なので、そんなこともする。
つーさんの人生に50代が訪れるのか、その頃のわたしたちが相も変わらずハッピーバースデーを歌いあっているのかはわからない。

でも、こうして同じ時代を生きて、縁あって出会って、ハッピーバースデーを歌い合うことができている数年があった、ということは間違いのないことなのだ。
それがきっと、生きて出会うということなのだろう。そしてそれはきっと、とても奇跡的で、でもごく自然なことなんだと思う。

・・・

それにしても、寒い。

職場の同僚の方が、先週の春のように暖かかったときに「通勤途中の池で、亀が一匹冬眠から目覚めてしまっていた。甲羅を干していた」、その翌日には「目覚めてしまった亀の数がさらに増えていた」と教えてくれたのだが、今ごろその亀たちはどうしているのだろう。
「まだ春じゃないじゃん!!」「はえーよ!!」と、最初の一匹目が池の中で怒られているだろうか。
も一回冬眠し直す、とかできるのかな。
早起きしちゃった亀たちがなんとか寒さをしのげてますように。