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出会わなかった人に/「献呈」

シューマン/リストの「献呈」という曲がある。

昔、クラシックやピアノが好きなわたしの母からこの曲のことを教わり、「聴くとなんだかすこし涙が出るのよね」と言われ、へえと思い聴いてみた。
とても美しい曲である。
でもなんだかただの美しい曲じゃなくて、ほんのすこし涙が出るっていうのはすごくわかる。

今朝、ベランダのチェアに腰かけてこの曲をイヤホンで聴いていた。
やはりすこし涙ぐむ。
なんなんだろこの感情は。

・・・

人生のちょっとした曲がり角、もしくは分岐点に立つときがある。
そんなに大きなやつじゃない。
ちょっとした、ほんのすこし心が揺れるくらいの分岐点だ。

あなたはその分岐点に立ちながら、こちらへゆこう、ゆくんだと、もう決めている。
もうそれは当たり前のように決めている。
だって大した決意じゃない。わたしの人生とはそういうものだから、と思いながら。

でも、もうひとつの道の向こうから吹いてくる風があなたの鼻先にあたるとき、本当にそうなのかな?という思いがかすめる。

もしこちらへゆかなかったら、
もうひとつの道の向こうには誰が待っているんだろう?

その瞬間、時間はそっと止まって、出会うはずのなかった誰かに出会ったような気配が訪れる。
一瞬心がふるえる。
心に訪れたそれは、懐かしく、恋しく、美しい気配である。

でも、その風のにおいを感じながら、あなたはやはりこちらをゆこうと、思った道を歩きはじめる。
出会うはずもなかった、誰か。
出会っていなくても心を揺らすなにかに別れを告げて、あなたはまた風の中を歩んでいく。

・・・

なんか、わたしにとってはそんな感じを覚える曲なのだ。


ただ、そもそものシューマンの曲想はぜんぜん違っていて、これは結婚式の前夜、愛する妻クララに向けてつくられた、めちゃめちゃストレートな愛の曲なのだそうである。
(ピアノ版は「献呈」をリストがピアノ独奏用に編曲したもの)

歌詞はこう。

きみこそはわが魂よ、わが心よ、
きみこそはわが楽しみ、わが苦しみよ、
きみこそはわが生を営む世界よ、
きみこそはわが天翔ける天空よ、
きみこそはわが心の悶えを
とこしえに葬ったわが墓穴よ

きみこそはわが安らぎよ、和みよ、
きみこそは天から授かったものよ、
きみの愛こそわが価値を悟らせ、
きみの眼差しこそわが心をきよめ、
きみの愛こそわれを高めるものよ、
わが善い霊よ、よりよいわが身よ

すんごいどストレート~。
ちょっと大丈夫?って言いたくなるくらいの絶大な愛がある。

それはそれで感動的なわけだが、わたしにとってはやはり出会わなかったなにかとの邂逅というか、はるか遠くにあるなにかを思うような曲である。

こんな空が高い秋の朝にはちょうどいいなぁ、
なんて思いながら、ベランダのチェアでこの曲を聴きながらこれを書いている。

(ベランダ活動、略して「ベラ活」はかどっています)

4分半くらいの短い曲です。
できればイヤホンで聴いてみていただきたい~、反田恭平さんの演奏が美しいです。