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「母親はこうあるべき」ではなく自分だけの母親像を創っていく方法

自分はダメな母親だ…
子育て向いてない…

これは私が定期的に子育てスランプに陥る時に
感じていることです笑

でも、子育て向いてないと思うのは子供に一生懸命してあげたい、向き合ってあげたい、と思うからゆえのはず。(と思いたい。)

私はこれまで何度も思ってきました。
私は母親になる資格があったんだろうか…と思い悩む時もありました。

しかし、ある時気付きました。
私がこのスランプに陥る時は決まってあることをしてしまっています。


それは

「なんとなく自分の中にある母親像に自分を押し込もうとしている時」

です。

私の場合、自分の中にある母親像とは私の母親とほぼ同じです。

ここで、私と私の母親(私の中の母親像)を比較してみましょう。

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私の母はTHE専業主婦でした。
家の掃除や洗濯もきちんとやり、晩ご飯にはたくさんのおかず。
毎日晩ご飯作る時に「何を食べさせてあげようかな」って毎日考えながら作るのが楽しかったそうです。(ワタシニハアリエナイ

でも、私は母とほぼ逆のタイプだと思います。
掃除、洗濯、料理などの家事ってやってもやっても終わりがないから一生続くことに絶望しているし、掃除しても数時間後には子供のお菓子の粉が散乱しているのを見てまた絶望。
料理だって一生懸命献立考えて作ったって、食べるのは20分ほど。
(献立を考える、買い物に行く、作る、
この時間と労力とを食べる時間と比べてしまってはいけないと思いながら比べてしまう私…)

家事にやりがいを求めるものではないかもしれないし、生活していくために必要不可欠のものなのですが、母のように一生懸命にはなれません。
(なんか文字にしたことを読むとすべて放棄しているように感じてしまいますが笑放棄しているわけではありませんよ笑)

子育てに関しても、私の母は赤ちゃんや小さい子供に対する接し方がとても上手です。
それはこれまでの経験や孫だからという面もあるのかもしれませんが、子供の意を汲み取ってあげるというか、そういうことがとても上手なんです。
一緒に遊んであげたり、何かをしてあげるのもとても上手。

その一方で、私は昔から子供が苦手でした。
末っ子として育ち、いとこも全員結構年上。
小さい子や赤ちゃんと接する機会がほとんどなく育ってきました。
子供の頃から小さい子への接し方がわからないという自覚があるほどです。
なので、子供が産まれてからもどう接したらいいかわからない…自分の子供だから可愛いのは当たり前なのですが、育てるのに必死で可愛さを楽しめる余裕もなく過ごしていた時期もありました。

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どうですか?
これだけ見ても、私と母親(私の中の母親像)は全く違うタイプだということがわかるのではないかと思います。

こんな私が、私の中で無意識に作ってしまった母親像を目標にして
「いつも整理整頓して、料理も品数多めできちんと作る」母親像に設定してしまうとアカンわけです。出来ない自分に苦しくなります。

でも、無意識に私の母と勝手に重ねしまうんです。それで「私は出来ない」「ダメだ…」となってしまう。

誰しも無意識に設定した「母親像」があるのではないかと思います。

①あなたの理想の母親像は?

②今あなたの中にある母親像はだれが元になっていますか?

③その母親像はあなたの性格やタイプに合ったものですか?

アウトドアが好き、行動派の人が室内でずっとおままごとに付き合ったりお人形遊びに付き合うのは大変かもしれません。

料理が苦手なのに毎日栄養満点、品数が多い料理を用意するのはおそらく無理でしょう。

あなたができること、大変だと思わずに出来ることをベースに子供にしてあげられることを考えていけば良いと思います。

でいないことをやろうとするから大変だし辛くなるのです。

自分の中の母親像と自分が乖離していて辛いなら
自分ができること、無理なく子どもにしてあげられることを元に自分の「母親像」を創っていけばいいのです。

私は「子育てスランプ来たな」と思う度に、私は私なりの母親像で行けば良いんだよと再確認するようにしています。

どこから持ってきたかわからない、誰かわからない形のない母親像に囚われるのはもう一緒に終わりにしましょう☺️






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