「暗闇に光を撃つ」言葉の力

宇多田ヒカル、

小学生のころ父の白くて四角い、
新車のにおいが強烈な車の中で
何度も何度も流れていたautomaticの記憶(私の父はとてもミーハー)

テレビっ子のわたしにとっては

今週の一位はデケデケデケデケデケデケ(歌のベストテン的なものを思い浮かべてください)
デテン!!って常連で出てくる音楽

auのCM、キングダムハーツ、
見ているドラマの主題歌(世代的ラストフレンズ!)、NHKみんなのうた

みたいなばっくりしたイメージではありつつ
「かっこいいかかっこよくないか」
「好きか嫌いか」の基準の範疇を飛び越えて、
ただいつもそこに自然に「ある」音楽だった

自分の負った傷を感じるところからどっぷり守られてきた弱冠12.3歳の私にとっては
すごく身近で、でもすごく自分の外側にある音楽だった

そんな私が25歳にして
宇多田ヒカルのライブのチケットを手にしていた
(なんと、顔写真付きの電子端末の中のチケット!)

いつからかわからないけれど
彼女の音楽を聴いて
彼女が10年以上前に書いた言葉の輪郭が、
どことなくはっきりしてきて
曲の中の情景にみたいなものがいつかの記憶の奥にある気がして

あれ?私いつか、最後のキスはタバコのflavorしたっけ?
みたいな、不思議なことに新しくて
でも懐かしいような感覚が膨らんでいた

少なからず、失恋したり友人とうまくいかなかったりして苦しんだり、
人に自分のことをうまく話せない違和感に
俗に言う生きにくさみたいなものを感じて
そうか、私は年齢や経験を重ねて
彼女の言葉や音楽に追いついたのだ!と思った

私はよくライブに行く人間に含まれると思うのだが
彼女のライブはいつもと違った感覚で
ステージに登場した瞬間
「わぁ本物だ!!!!!やばい!!」なんてバカみたいなことを思った(同じように思った人絶対いるよね??)

ライブ中、時折見せる人間らしい笑顔にほっと安心した

私は「光」という曲がすごく好きで

どんな時だって たった一人で 運命忘れて生きてきたのに

運命忘れて!!どういう意味?全然追いついてないね
わからないけれどぐぐっと心臓を持っていかれるのが悔しい

NHKのSONGSで彼女が

「部屋で一人でヘッドホンで音楽を聴いている誰か」に向けていつも
歌っている、私と大勢ではなく「私と誰か」という感覚


と話していて
数えきれない人が救われ、
彼女のつくる音楽や綴る言葉に触れて
日々襲ってくる苦しみや絶望の中に小さな光を見つけているのだなと
ライブに足を運び、あの光景を見て確信した

暗闇の中に希望を少しでも見つけられるように、言葉に救われて
あがいてあがいて生きてくとよし、誓った!

暗闇に光を 撃て

生きにくさを撃ち抜け!


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