見出し画像

🍓いちご狩りを楽しめなかった3年前、楽しかった去年、超楽しかった今年🍓

これは去年、いちご狩りのInstagramのキャプション。

私にとっては2年ぶり2回目のいちご狩り🍓
今回、過去の自分がいかに異常な精神状態だったかを改めて振り返ることができた。

前回は1歳半の長女と2人で帰省中に私の両親と4人で、田舎ならではの時間無制限食べ放題のいちご狩り。
私はこのとき、予約時も/当日までも/いちご狩り中も/終わってからもずーっと、『長女のためだけのいちご狩り』の認識でいた。

どういうことかというと、
そもそも自分がいちごを食べるっていう選択肢が全く無くて、
自分がいちごを食べるくらいなら長女に食べさせたいと思っていて、
両親が長女から視線を外して各々いちご狩りしてる姿に本気で「うそでしょ、信じられない…」とイラついていて、
母がしつこく食べなと言うので食べた2、3粒は罪悪感でいっぱいで、
長女が大好きないちごをお腹いっぱい食べれた姿に心から満足してた。

あれ?前回あんまりいちご食べた記憶ないな~🤔って思ってこれに気づいてゾッとした。
怖い、怖すぎる。

この帰省前にメンタル崩壊させてるとはいえ、この頃の私はここまで滅私が通常運転だったんだな…。
確かにどこへ行くにも何をするにも長女ファーストだったけど、セカンドにもサードにも私がいない。
滅私だけならまだしも、長女を使って自分を満足させてるところがさらにやばい。

今回のいちご狩りは「時間内にお腹いっぱいまで食べれるかな〜?😋🍓」って楽しみにできたし夫がたくさん食べてる姿みて嬉しくなったし、この話を怖いよね〜って夫にカジュアルに話せたからもう大丈夫だと思うのだけど、2年前の状態で育児を続けてたらと思うと怖ろしいね…。

何が私をそうさせて、何が私をあそこから抜け出させてくれたのかは分からないけど、
いま家族がそれぞれに健やかに仲良くやれていて本当によかったと感謝したって話🍓

2023年6月13日の私のインスタ

改めて読んでも、3年前の私の異常な精神状態が自分で恐ろしい。
育児ノイローゼとか産後鬱とか、時期やホルモンの関係で仕方なかったよね~という免罪符が付けばいいのだけれど。

そうでもなかったと、思うのです。

きっと私の中に元々こういう素質があって、それが長女によって存分に発揮できたために増幅されてて、何もなければこのまま邁進してたと思う。
いろんなことを少しずつ学んで気づいて1度ずつ方向転換をしていけたおかげで180度くらい向きが変われて、後ろを振り返ってヤバい、と思えている。
とはいえこの頃の精神状態、まだ冷静に分析まではできないんだよね。
この要素をまだどこかしらで持ってるんだと思う。
油断すると顔を出す。
いつかちゃんと言語化して消化して成仏させたい。

いまはとりあえず、あぁよかった。と思えてるし思いたい。


先日は今年のいちご狩りに🍓
あいにく夫に仕事が入ってしまったけど、すかさず仲良しのママ友を誘う。
こんなふうに損得勘定なく気軽に誘えて「わーい!行く行く!」って返事くれる友達ができたことが本当に嬉しい。
心から幸せに思う。
一生の友達でいてくれよな!!

まあーーー。
楽しかったよね。
1、2年分は食べたんじゃないかな、いちご。

当日は長女と次女が食べる前に私が我慢できずに頬張っちゃったし、
なんなら途中に娘たちを見失い、友達に「こっちにいるよー」と教えてもらう始末。

「〇〇ちゃん、いちご、おいしい?」
「ねえ〇〇ちゃん、たのしい?」
じゃなくて
「〇〇ちゃん〇〇ちゃん、たのしいねえ!!」
「おいしいねー!」
って声をかけていた自分に今になって気づく。

育児界隈で最初と最後に必ず言われる「まずはお母さんが幸せじゃないと」。
これ、3年前の私にとっては意味が分からなさすぎて苦しい言葉だった。
育児中の母親の幸せって子どもが幸せであること以外にあるの??
まずは母親が?そんな自己中なことできないよ!母親なのに!!
本気でそう思ってた。
今は、
娘であっても他人は変えられない。
変えられるのは自分だけ。
無理に自分から楽しもうとするんじゃなくて、どうせいちご狩り行くんだから自分が単純にそれ楽しんじゃえばいいじゃん!というスタンス。

まだまだ子どもたちありきの予定ばかりだけど、そこに行くならそれなりに自分の楽しみや満足感も得たいと自然に思うようになれてきてるのよ。

毎年同じイベントがあると定点観測できていいですね。


この記事が参加している募集

みんなでつくる春アルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?