卒業論文「はやみねかおる作品における共通概念『赤い夢』とは何か」の公開

大学4年生ほど暇なのに忙しい学年もないな、と思いました。就活でひぃひぃ言ってる間に卒論を書き始めないと行けないんだもん。合間合間はけっこう暇なんだけどね。


この度、卒論をnoteで公開することにしました。

卒論に限らず、論文(あるいはレポート)を書くにあたって行うことのひとつに「先行研究の検証」があります。

自分の研究対象についてどういった研究がなされているか調べ、検証を行うことで、既に似たようなテーマの研究が行われていないかを知ることが出来たり、あるいは定説とされているものへの姿勢なんかを得ることが出来たりします。

さて、私が卒論の研究対象として扱った「はやみねかおる」という作家はご存命で、今も現役で物語を紡ぎ続けている方です。

しかし卒論、あるいは論文では、既に亡くなっていて作品数が既に確定している作家を研究対象に選ぶことが推奨されています。

理由はいくつかありますが、私がいちばん困ったのは「先行研究がほとんどない」という点です。どういうふうに困ったのかは余談なので後述します。先行研究が少なさそうな研究対象で卒論を書こうとしているそこの君。たぶん大変だぞ。

なにはともあれ、今回、note上で卒論を公開・保存しようと考えたのはこれがきっかけです。

先行研究がほとんどないはやみねかおるとその作品たちだけど、かつて子どもだった読者たちは大人になりつつあり、私と同じように「はやみねかおるで卒論を書きたい!」というお茶目さんもたくさんいるはずです。そんな人たちのための先行研究になりたいな、という気持ちから、本当に拙い論文で申し訳ないけれど、卒論を公開します。

\デンッ/
はい。私の卒論です。PDFです。好きに読んでください。もし本当に参考文献として使用した場合は、あなたの論文が完成したときにコメントでこそっと教えてくれたら喜びます。本文見せなくてもいいし。
卒論、書くのしんどいけど達成感あるよ。


さて、以下は余談として、先行研究がほとんどない研究対象を選んだ私がいかにして四苦八苦しながら卒論を書き上げたかについて書いた文章です。
読まなくて大丈夫なやつです。でも同じように先行研究がほとんどない研究対象を選んでる人の、すごく頼りない道標くらいにはなるかもしれません。ざっとでいいから上の卒論を読んでいると多少わかりやすい話になると思います。

まず、CiNii Research国会図書館などで調べました。両方とも論文や雑誌などの文献・学術情報を検索できます。結果、はやみねかおるにまつわる本文を閲覧できる論文は、平成23年度に東北大学大学院情報科学研究科で小山修平氏が執筆した修士論文『はやみねかおる論』のみでした。それ以外は卒業論文を含めても題名しか分からず、本文は閲覧できませんでした。

これが本当に困るんです。
先行研究が複数あれば、その論文の参考文献からまた新たな先行研究に辿りつき、その研究対象への理解を深め、「この論文ではこう書かれているがこれとは相違した意見を持っている」とか「これについては◯◯がこう書いている」とか書けるのに、先行研究がないだけで途端に「いいから俺の解釈を聞け」になってしまう。

私は苦渋の決断として、先述の『はやみねかおる論』を十分に検証した上で、この論文で書かれているのとは異なる視点ではやみねかおる作品について論じたいから、ネット上にある考察を先行研究のひとつとして数えるという手段に出ました。「いいんじゃない」と許可してくれた先生にはめちゃくちゃ感謝してます。

それが、神山六人氏の『赤い夢の世界について覚書。』です。いや〜、先生にそれっぽくなる論文語にしてくれと泣きついたかいがありました。「インターネット上ではやみね作品についてまとまった論考を発表している」。めちゃくちゃそれっぽい。『赤い夢の世界について覚書。』には大変助けられました。なぜなら私は神山氏とは少し違う考えを持っていたからです。

また、私が個人的に「はやみねかおる、ひいては赤い夢について扱うならこの複雑な時間軸と世界軸を解説しないとなぁ」と思っていたので、その基礎となる考察が存在していたのもとてもありがたかったです。さらに、私が知らなかったはやみねかおるの本を知ることも出来ました。いや〜先行研究があるっていいですねぇ〜!

ということで、私は『はやみねかおる論』に対してはおおむね同意の姿勢を見せた上で、やっぱこの視点だけだとはやみねかおるは語れねぇから、違う視点で論じたい!と主張し、さらに別の先行研究として『赤い夢の世界について覚書。』を持ち込み、これとは違う考えなんです、と続けて自分の考えについて書くことに成功しました。

大変でしたね。いえ、もちろんこの後の、先行研究を踏まえた上で自分の考えをまとめることの方が大変でした。でも、どうにかして先行研究の検証らしきものを行わなければならないという論文としての体裁に勝ったときは嬉しかったです。

本来なら神山氏の考察をもういくつか検証すべきだったとは思うのですが、それをすると「神山六人の研究」になりそうだったので辞めました。多少字数稼ぎをした感があるのは見逃してください。それもあって優秀賞とか貰えてないんです。たぶん。

また、先行研究が少ないということは、そもそもその研究対象を専門としている先生がいないということです。学部や先生によっては、あなたが希望している研究対象の卒論を書かせてくれない可能性もあります。幸いにして、私を担当してくださった先生は好きなものを書かせてくれるタイプでした。

私は1週間ごとに「来週はここまで書いてきます!」と宣言して少しずつ見てもらうスタイルだったこともあり、全てを書き上げたあとに「やっと吉野さんが言いたいことがわかった」と言われたときはとても申し訳なかったです。

ですが、担当の先生が専門としていない研究対象を扱うということはそういうことです。研究対象に対する基礎的な知識がない先生はもちろん、下手したら執筆している自分さえも五里霧中な可能性があります。実際、自分のメモ書きノートを見返すとかなり迷走していました。

自分がなぜその研究対象を扱いたいのか。
その研究対象の何を明らかにしたいのか。
このふたつをしっかり持っておかないと、途中で破綻すると思います。逆に、このふたつがしっかりあれば、あとはそれを証明するために手元にあるテクストを頑張って弄ればいいだけです。言うほど簡単ではないけれど。

私の迷走をふたつご紹介しましょう。

まず、先生の勧めもあり、児童文学の先行研究を読み始めました。
先生の勧めは当然です。だってその時点で私は「ジュブナイルミステリー作家はやみねかおるの世界観について書きたい」としか伝えていないんです。とりあえず「ジュブナイル」から入ってみては?ということであれこれ調べて、結局ジュブナイルって児童文学のことなんだよな、と思い、でも児童文学の歴史に詳しくなっても私が書きたいことには1ミリも掠りませんでした。

そこでやっと私がやりたいのは「児童文学のカテゴリにいるはやみねかおる」じゃなくて「はやみねかおるの世界」なんだと我に返り、先生に「やっぱ違った!」と報告に行きました。ちなみに小山氏の『はやみねかおる論』は児童文学の視点から見たはやみね作品について書かれたものだなと私は感じました。非常に良く考えられていておもしろかったです。

結局すこし違う内容になりましたが、私は主題を「はやみねかおる作品における共通概念『赤い夢』とは何か」、副題を「『赤い夢』を作中における舞台装置の1つとした場合の役割と効果」に仮定して書き進めていくことにしました。このふたつを定めるに当たって、考え方として非常に納得出来た本が『基礎からわかる 論文の書き方』(講談社現代新書)です。担当の先生から勧めて頂いて読んだものですが、めっちゃ良かった。おすすめ。

卒業論文のテーマは、書く期間が短いこともあってその範囲をなるべく狭くした方がいいらしいです。例えば「太宰治」じゃなくて「太宰治と愛人・山崎富栄の心中方法から見る◯◯」みたいな。太宰治に詳しくないので適当ですけど。というか、先行研究が多い研究対象を選べば必然的に狭まっていくと思います。すでに論文が書かれているものも多いでしょうから。

ところがどっこい、先行研究がないとほぼ全てが未知の領域!考え放題!書き放題!やったね!

というわけではなく、先行研究がない研究対象は、言ってしまえばだだっ広い熱帯雨林なわけですから、切り開いて整地して建築して……とやたら手間がかかります。

私の場合も、「赤い夢」について書きたいとは思っていてもまず「赤い夢」の定義から考えなければならず、そのあとも「怪盗の美学」などはやみね作品独特の概念について扱っていくうちにどんどん迷走していくことになりました。

さて長々と先行研究が少ない研究対象を選んだ際の苦労について書いてみましたが、まとめてしまえば「熱帯雨林」なんですよ。ほんとに。「ホワイトアウトが多発する針葉樹林」とかでもいいです。迷いながら自分で切り開かないといけない。

それでも私が書き上げられたのは、担当の先生が、先生にとってはよく分からんことでも熱心に聞いてくださって、方針にブレがないか見てくださってたからだと思います。ありがとうございます。

あと脳内のはやみね先生が逐一「なるほど、そういう考え方もあるわけですか。すこしもらってもいいですか」と語りかけてきたのもあるかも。

それから単に、小学校1年生の頃からずっと好きで、ずっと不思議だった世界に自分なりの挑戦状を叩きつけたかったのもあると思います。

はやみねかおるの世界は、もうじき完結を迎えます。世間の定年に合わせてはやみね先生の定年も伸びているけど、それでも10年以内にはおそらく終わってしまうでしょう。

前述の通り、論文というものは物語が完全に完結していたり、作家が亡くなっていたりした方が書きやすいものです。それでも私は、今までに漠然と考えてきたことをまとめ上げて「はやみねかおるの世界」の終焉に挑戦してみたかったんです。

たぶんそういう熱意がないと卒論で先行研究が少ない研究対象を選ぶのはけっこう厳しいんじゃないかなぁ。しんどかったもん。みんなそうなのかはわからんけどね。


最後になりますが、あらためて卒論の指導教員を担当してくださったT先生ありがとうございました!卒論の相談と言いつつおしゃべりするの楽しかったです。また、公開を快く許可してくださったU先生、Y先生ありがとうございます。

はやみねかおるで卒論を書こうとしているあなたへ。
はやみね先生はもう風呂敷をたたみ終わっているでしょうか。たたみ終わっていたら、私が書いた卒論なんて矛盾だらけでしょうから逆にいい先行研究になれていそうです。無事に卒論を書き上げられていることを祈ります。


2023/12/17追記
はやみね先生、引退延期するんですって!風呂敷があまりにもデカすぎる。
2056年だと私は56歳なので、老後に答え合わせという楽しみが産まれそうです。

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